藤原定家『明月記』にみる後鳥羽院の姿 その1(建久3年~建仁元年)

 
 
 (甚之助蔵 藤原定家『明月記』全3巻、国書刊行会、明治44年刊)
 
 さて、フィールドワーク編も終わったということで、これからは例の後鳥羽院単推しのママとの共同研究(←大袈裟w)をちょいちょい記事にしていってみようと思います。

 まずその最初に、生前の後鳥羽院の姿を知る上で貴重な史料となる歌人・藤原定家の日記『明月記』に描かれている院像を見ていきます。
 今回は”その1”として後鳥羽院の名前が出ている『明月記』の記事の年月日をピックアップし、その時期に院と定家はどのような関係性・交流があったかをみていきたいと思います。
 ちなみに後鳥羽院の名前が初めて『明月記』に登場するのは建久3年4月10日条、最後に登場するのは文暦元年6月3日条になります。

 私の所蔵している『明月記』(全3巻、国書刊行会、明治44年刊)を底本とし、各巻ごとの元号区分を示すと
  ・第1巻 治承4年(1180)~建永元年(1206)
  ・第2巻 承元元年(1207)~嘉禄2年(1226)
  ・第3巻 安貞元年(1227)~嘉禎元年(1235)
 となります。

 まずは”その1”として第1巻の治承4年~建永元年のうち、建久3年~建仁元年を見ていきます。
 一応今後
  ・その2 建仁2年~元久元年(第1巻)
  ・その3 元久2年~建永元年(第1巻)
  ・その4 承元元年~承元2年(第2巻)
  ・その5 建暦元年~建暦2年(第2巻)
  ・その6 建保元年~嘉禄2年(第2巻)
  ・その7 安貞元年~文暦元年(第3巻)
 と稿を分ける予定です。
 後鳥羽院に関する記載は第1巻と第2巻に集中しており、巻ごととするとあまりに数が膨大となるため、このような分け方としました。
 
 後鳥羽院に対する呼称はさまざま用いられているますが(その多くが「院」ないし「仙洞」)、それも都度示します。また院の名前が直接記されていない記事でも、院の言動が窺えるものも掲載します。
 基本的に院の記述のある日付をまとめることを目的としていますが、特筆すべき記載がされているものについては簡易的に記します。しかし「院に参ず」といったように定家が院と会ったといった程度のものは除いています。

 適宜、堀田善衛『定家明月記私抄』『同 続編』(ちくま学芸文庫、1996年)を参照します。堀田氏の著作に関しての好き嫌いあるかと思いますが、『明月記』の全編を通して論じたものが他にはほぼ皆無なので。ちなみにママは「堀田善衛はキライ」と豪語していますw
 

 

≪底本≫
 藤原定家『明月記』全3巻、国書刊行会、明治44年刊

 Amazon
 
 定家明月記私抄 (ちくま学芸文庫)
 定家明月記私抄 続篇 (ちくま学芸文庫)
 

目次

    ●藤原定家『明月記』にみる後鳥羽院の姿 その1(建久3年~建仁元年)
     建久3~9年
     正治元年
     正治2年
     建仁元年

 

(『明月記』治承四年二月条 呉文炳氏所蔵『史料編纂』より)
 

建久3~9年

建久3年
4月
10日≪主上≫ 弘法大師が朝廷に伝えた如意宝珠を見る

建久7年
4月
24日≪旧主≫ 南殿で宴

建久9年
1月
19日≪旧主≫ 譲位の日のこと
21日≪太上天皇≫ 初度御幸
23日≪上皇≫ 
27日≪太上皇≫ 最勝光院へ御幸、京中辺地を歴覧
2月
3日≪上皇≫ 西郊の女院に御幸 
10日≪上皇≫ 宣陽院御所へ御幸 憚りあるの故云々
14日≪上皇≫ 八幡へ御幸
15日≪上皇≫ 久我通親邸に逗留
17日≪上皇≫ 夕方還御
19日≪上皇≫ 早朝城南に御幸、鳥羽殿で競馬・鳥合せ、鳥羽に還御
20日≪上皇≫ 御幸と御見物
26日≪院≫ 加茂より還御、最勝寺の鞠に御幸
 

正治元年

1月
9日≪院≫ 11日八条院八幡、13日日吉御幸の予定
4日≪院≫ 御月忌につき左右府へ参会
7日≪院≫ 尊勝陀羅尼に参ず
8日≪院≫ 前右大将出家につき蓮華王院へ御幸
2月
13日≪院≫
14日≪院≫
18日≪院≫
27日≪上皇≫ 明日鳥羽御幸の由
3月
11日≪院≫
13日≪上皇≫ 六条殿へ御幸
4月
26日≪院≫
7月
4日≪院≫
5日≪院≫ 明後日法勝寺へ御幸の由
9日≪院≫
11日≪院≫
13日≪院≫
14日≪上皇≫
18日≪院≫
21日≪院≫ 三宮(守成親王<順徳天皇>)、初めて院に会う。
22日≪院≫
8月
13日≪院≫
27日≪院≫ 熊野御幸中、不快なことあり
9月
8日≪上皇≫
4日≪上皇≫
23日≪院≫ 三宮、魚味の事
24日≪院≫  藤原成定中将、院に馬二頭を献ずる
12月
4日≪院≫ 一品宮(昇子内親王)のこと
10日≪殿下≫ 法性寺に御幸
11日≪院≫ 宮、院に参ず。密儀のこと
16日≪院≫ 第三皇子(守成親王<順徳天皇>)親王宣旨、魚食の事
17日≪院≫ 「兵仗御慶に依り、人多く参ず」
22日≪殿下≫ 法性寺に御宿
24日≪院≫

正治2年

1月
1日≪院≫
3日≪院・上皇≫ 対面の南において牛を御覧ず
6日≪院≫
8日≪院≫ 範光朝臣の馬を御覧ず
12日≪上皇≫ 水無瀬の御所に御幸
14日≪上皇≫ 還御
15日≪院≫
22日≪院≫ 尊勝陀羅尼供養
29日≪院≫
2月
3日≪院≫ 綾小路京極あたりを見物
5日≪院≫ 読経
9日≪院≫
18日≪院≫
閏2月
13日≪院≫ 賀茂・北野などに御幸
25日≪院≫
27日≪上皇≫ 水無瀬に御幸
3月
6日≪院≫
12日≪院≫ 昨日より五体不具の穢
13日≪院≫ 穢、所々に混合す
20日≪院≫
26日≪上皇≫ 
7月
11日≪院≫ 
15日≪院≫ 百首の沙汰あり
18日≪院≫ 百首作者のこと
8月
2日≪院≫ 御祈りのこと、12日日吉御幸、7日間御参籠のこと
15日≪院≫ 丹州(宜秋門院丹後)院百首の題を再び給わる
17日≪院≫ 
25日≪院≫ 定家・隆房・慈円など百首を提出する
26日≪院≫ 定家の詠草に深く感銘する「道のため面目幽玄、後代の美談と為らん」
9月
8日≪院≫ 昨日、覆物の御卜あり
13日≪院≫
23日≪院≫ 藤原長房、御使となり左大臣殿に参ず
24日≪院≫
26日≪上皇≫ 水無瀬御所に御幸
29日≪上皇≫ 還御
10月
1日≪院≫ カカル所(小御所)に定家を呼び、内輪の歌会を催す
2日≪院≫
4日≪院≫ 家長を以て暫らく伺候すべき由
7日≪院≫
11日≪院≫ 定家、戌の時、御首の題を給う
17日≪上皇≫
19日≪院≫
22日≪院≫ 馬場殿御幸、夜、雑々作者の歌合せあり
24日≪院≫
27日≪院≫
11月
3日≪院≫ 六条殿に御幸
7日≪院≫ 申の時、定家、院より召しあり
11日≪上皇≫ 雪のため鳥羽に御幸
15日≪院≫
21日≪院≫
22日≪院≫ 鳥羽に御幸
12月
15日≪上皇≫ 伏見稲荷に御幸、日没後還御
16日≪院≫ 馬場殿に御幸
20日≪院≫ 水無瀬に御幸の由
21日≪院≫
28日≪院≫

建仁元年

※1月25日式子内親王、薨去
3月
29日≪院≫ 新宮撰歌合
4月
24日≪院≫ 定家、院より明後日の和歌の題を給わる
6月
16日≪御前≫ 定家、院の御製に感嘆
7月
26日≪院≫ 新古今集編纂のため和歌所を設置
27日≪院≫ 和歌所の図
8月
7日≪院≫
9日≪院≫ 南山御共(熊野御幸)の由
15日≪院≫
9月
26日≪院≫ 定家、五十首の御歌、院より忿ぎ仰せられる
10月
5日≪院≫ 熊野御幸、出発
6日≪院≫ 阿倍野・王子に参詣
7日    8ヶ所参詣、相撲・神楽など
8日    同上、夜歌合
9日    山道にかかる、9ヶ所参詣
11日    雨により停留
13日    石田河を渡る
15日    発心門到着
16日    本宮到着
17日    夜、種々な御遊
18日    船で新宮へ、御経供養・乱舞・相撲・歌合
19日    那智参詣
21日    帰路へ
25日    摂津長塚より淀川を渡る
26日    入京還御
11月
22日≪院≫ 鳥羽殿御幸、延期
27日≪院≫ 第二親王(長仁親王<道助法親王>)、仁和寺に渡り給う
12月
19日≪院≫
 
 
 
≪その2 建仁2年~元久元年(第1巻)へ……≫

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