藤原定家『明月記』にみる後鳥羽院の姿 その4(承元元年~承元2年)

 
 
 後鳥羽院の姿を記録する主な公家日記2
 (甚之助蔵 藤原家実『猪隈関白記』岩波書店、昭和62年第2刷)

  ・【運命の四の宮】藤原定家『明月記』にみる後鳥羽院の姿 序奏
  ・その1 治承4年~建仁元年(第1巻)
  ・その2 建仁2年~元久元年(第1巻)
  ・その3 元久2年~建永元年(第1巻)
  ・その4 承元元年~承元2年(第2巻)
  ・その5 建暦元年~建暦2年(第2巻)
  ・その6 建保元年~建保6年(第2巻)
  ・その7 承久元年~嘉禎元年・その後(第2・3巻)

目次

    ●藤原定家『明月記』にみる後鳥羽院の姿 その4(承元元年~承元2年)
     承元元年
     承元2年
     承元3年 欠
     承元4年 欠

 
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承元元年

 1207年
 後鳥羽院 28歳
 藤原定家 46歳

1月
1日≪院≫ 節会、朝拝
2日≪院、上皇≫ 高陽院殿に朝觀行幸
3日≪上皇≫ 七条院の御所三条殿に御幸
5日≪院≫ 馬場殿に御幸
6日≪院≫ 馬場殿に御幸
7日≪院≫ 白馬節会
11日≪院≫ 馬場殿に御幸
13日≪院≫ 皇女(不詳)御魚味ノ儀
15日≪院≫ 去る夜、法勝寺御幸。三条殿・神泉苑に御幸
16日≪院≫ 神泉苑に御幸。踏歌節会
17日    最勝光院御八講 cf,皇女(不詳)御着袴ノ儀(『仲資王記』)
18日    蓮華王院修正に御幸
19日≪院≫ 御身固
21日≪院≫ 神泉苑に御幸
22日≪院≫ 和歌所御会始
23日    祇園八幡御幸。水無瀬御幸
28日    少壮の殿上人18人を特に結番して殿上に候せしめ給う

2月
11日    御狩。水無瀬蓮華寿院修二月会
14日    神泉苑に御幸
16日≪院≫ 藤原兼子の中山堂に御方違御幸
18日    ※承元の法難 法然を土佐、親鸞を越後に配流。住蓮・安楽を死罪とす。(『明月記』<同年正月24日、2月9日、10日条>、『愚管抄』『法然上人行状絵図』など)
19日≪院≫ 
20日≪院≫ 尊勝陀羅尼供養
25日≪院≫ 馬場殿に御幸
26日    和歌所において『新古今』の沙汰あり
28日≪院≫
29日≪院≫ 定家の為家院御所祗候を願い出に勅許を出す

3月
1日≪院≫
3日≪院≫ 馬場殿に御幸。定家、為家を相供し院に参ず
7日    賀茂社に御幸。歌合。
10日    神泉苑に御幸
11日    最勝寺に御幸。御鞠
14日    神泉苑に御幸
18日    中山堂に御幸
21日≪院≫
22日    高野に御幸
26日≪上皇≫ 水無瀬に御幸

4月
1日    御鞠
5日≪上皇≫ 御歩行 ※九条兼実、薨去
6日    還御。城南寺に御幸
9日    夜中、京中に地震あり
13日≪院≫ 賀茂斎院(礼子内親王)御禊
15日    鳥羽殿より還御
16日    賀茂祭
20日    最勝四天王院の新御堂障子詩の沙汰
21日    和歌所で最勝四天王院新御堂障子絵の名所の沙汰あり
22日    最勝講始め
23日    定家に三代集以下の和歌を書いて進上するよう命ず
25日    馬場殿に御幸
27日    新日吉社に御幸
28日    神泉苑に御幸
29日    捕縛された伊予の冠者を禁獄せしめ給う

5月
1日≪上皇≫ 「衣ヲ蒙ル女有リ」「勝事不可思議ナリ」
2日    神泉苑に御幸。定家『新古今』御点歌、院より賜った『源氏物語』書き出す
5日    神泉苑に御幸。『最初湯四天王院障子和歌』藤原清範を奉行とし作者決まる
9日    院の女房・宮内卿局卒す。新日吉小五月会
11日    六条殿供花に御幸
13日    神泉苑に御幸
14日    障子絵について画工を集め指示するよう定家に命ず
16日    『狭衣物語』の歌を書いて進上するよう定家に命ず
17日    定家、『狭衣物語』の歌を書き出し院に進上
18日    定家と藤原清範に御点歌を部類させる
19日    最勝講
20日    定家、唐俊法師の名所絵様を進上。顕昭『日本紀和歌注』を院に進上 ※定家は批判的
22日    中山堂に御方違御幸
23日    夜前還御
24日≪院≫ 定家、兼康の名所絵様を進上
25日    定家、尊智の名所絵様を進上。院秀歌撰『今古珠玉集』と号す「名ヲ下サルナリ。窃ニ此ノ字ヲ持ッテ禁固囚獄ニ通ズ。更ニ口外ニ出サズ」
28日    九条良経・兼実の呼称を「後京極摂政太政大臣」「後法性寺太政大臣」とするよう命ず
 ※30日 兼実49日忌

6月
1日    内野に御幸
7日    藤原重子、三宮に准じ「修明門院」と院号宣下
9日≪院≫
10日    内野で犬追物、女房見物
13日    大内に御幸
17日≪院≫ 藤原兼子を従二位に叙す
19日≪上皇≫ 御悩
20日≪院≫ 七条院、院御所に渡りおわす
21日≪院≫ 定家より光時の絵障子一間を進覧される
22日    大内に御幸
30日≪院≫

7月
1日≪院≫ 坊城殿に御幸
2日≪院≫ 鳥羽天皇御国忌。最勝寺御八講
3日≪院≫ 川崎泉に御幸 ※安芸・厳島神社焼失(『藝藩通志』)
6日≪院≫ 大内に御幸
7日≪院≫ 川崎泉に御幸
11日≪院≫ 川崎泉に御幸
15日≪院≫
19日    日吉に御幸
21日    川崎泉に御幸
22日    御悩
23日    藤原範光の三条坊門室町泉亭に御幸
27日    河上に御幸
28日≪院≫ 白河殿新御所成り移御
29日≪上皇≫ 三条殿御幸 

8月
2日    川崎泉に御幸
4日≪院≫ 還御。北野祭
9日≪院≫ 神泉苑に御幸。宣秋門院、京極殿に御幸
10日≪院≫
11日    院の皇子(不詳)、御着袴ノ儀
13日    賀茂吉田などへ御幸
21日    宣秋門院、封戸を辞し給う。院、藤原仲経の娘を召し給う。
 ◎封戸:位階に応じて給せられる特定数の公民
23日≪院≫ 九条道家、御直衣始め
24日    検非違使が強盗を大路に渡すのを御覧
26日≪上皇≫ 水無瀬に御幸

9月
6日    御狩。還御、明後日の由
20日≪上皇≫ 二条より出火。中宮御所および前太政大臣・藤原頼実の第焼失。院は冷泉西洞門あたりにおわす
24日    『最勝四天王院障子和歌』が選定される
29日    出火により宣秋門院小御所、承明門院御所が焼失

10月
1日    七条院と共に熊野に御幸(12度目)。再び出火
5日    弓場始め
8日    五辻殿に御片違御幸
11日※京極殿
14日※京極殿
15日※高陽院殿
16日    本門の南に門立つ。北に土門立つ
17日※高陽院殿・京極殿
18日※高陽院殿
22日※高陽院殿
24日≪院・上皇≫ 某所に御幸。定家、『最勝四天王院障子和歌』が替えられたと聞き憤慨
25日    「承元」と改元
26日≪院≫
29日≪院≫ 京官除目

11月
3日    大内に御幸。定家、為家の任官を院に申し入れる
8日    定家、『新古今集』を切り継ぐ「出入、掌ヲ返スガ如シ。(中略)身ニ於テ一分ノ面目ナシ。近日和歌ノ沙汰、又耳目ヲ驚ス」
16日≪院≫ 九条道家、着陣ノ儀
18日≪院≫ 五節
19日≪院≫ 節会習礼
20日≪院≫
21日    豊明節会
22日≪院≫ 童女を御覧。内裏を勤めず所々を御覧
27日    高陽院より白河殿新御所(最勝四天王院)へ移御。天皇(土御門)、東宮(順徳)、七条院が行啓
28日    一品宮、京極殿に行啓
29日≪院≫ 最勝四天王院落成供養
 ※30日 慈円、天王寺別当に就任

12月
11日≪院≫
17日≪院≫ 御仏名
19日    御仏名および最勝寺灌頂定
25日    明日、西七条殿に移御
29日≪院≫ 近日、仙洞偏詩の御沙汰という。御所御作文。藤原因子(定家の娘・後堀河院民部卿典侍)、院より白粉を入れた風流の火取りを賜る

承元2年

 1208年
 後鳥羽院 29歳
 藤原定家 47歳

1月
1日≪院≫ 拝礼
3日≪院≫ 七条院御所三条殿に御幸
4日    御遊始め。馬場殿に御幸
5日≪院≫
7日≪院≫ 白馬節会。法勝寺修正に御幸(10日条記載)
11日≪上皇≫ 五辻殿に御片違御幸。中山堂に御幸
14日    松崎に御幸
15日≪上皇≫ 一品宮(昇子内親王)御節供。八条院と対面
16日≪院≫ 20日に水無瀬御幸の由。月食により御祈あり。踏歌節会
18日※京極殿 除目始め
20日    水無瀬・八幡に御幸
24日    水無瀬殿詩歌会
      ※同日、某所に御方違御幸(『猪隈関白記』)
       讃岐真野荘を園城寺に寄せ給う(『寺門高僧記』)

2月
9日≪上皇≫ 還御。最勝四天王院修二月に御幸
11日≪上皇≫ 昨日水無瀬に還る
 ※この月、内外宮和歌御会(『後鳥羽院御集』)

3月
1日    成勝寺に御幸。御鞠
2日    松崎に御方違御幸
3日    御所にて闘鶏
4日    尊勝陀羅尼供養
5日    宣陽門院御所土御門殿に御方違御幸
13日    石清水臨時祭
14日≪院≫ 白河殿より成勝寺に御幸
16日≪院≫ 神泉苑に御幸
18日≪院≫
21日≪院≫ 高陽院にて弥勒供養を行わせる
24日≪院≫
26日    昨日、成勝寺にで御鞠
28日≪上皇≫ 最勝四天王院薬師堂供養に臨幸。夜前、密儀に御幸
29日    御鞠

4月
2日≪院≫
8日≪院≫ 中御門南、京極西で出荷。中御門に御幸し見物。大柳殿(七条院御所)に還御し灌仏会
13日≪院≫ 大炊御門殿(前太政大臣・藤原頼実の第)に御幸し御鞠。明日た御方違御幸
21日≪院≫ 大柳殿より還御
23日≪院≫ 尊長(最勝四天王院寺務)の春日宅に御幸
25日≪院≫ ※九条道家、西園寺公経女・掄子と婚姻
27日    皮堂に御幸。尊長の宅におわす。
28日≪院≫ 守護国界陀羅尼経法を修す。高陽院御作文
29日≪仙洞≫ 佳遊を命ず「当座、林池夏景清シ」
30日    昨日より院、御悩

閏4月
2日    定家、和歌題三首を賜る
4日≪院≫ 高陽院和歌会。守護国界陀羅尼経法結願
15日    京中大火。六条殿長講堂(宣陽門院御所)・坊城殿(坊門院御所)など焼失
24日≪院≫ 仁王会
29日    京極殿に御方違御幸

5月
4日≪上皇≫ 七条院御悩により臨幸
5日≪院≫ 左近衛府真手結い
 ◎真手結(まてづかい):近衛府の舎人が大内裏の馬場で行う本番の騎射
6日≪院≫ 某所に御幸。右近衛府真手結い
9日≪上皇≫ 密儀に御幸
13日≪院≫ 9日に慈円をして高陽院殿に法華経を修せしめ給う
15日≪上皇≫ 法勝寺九重塔、落雷により焼失。院、川原より見物。西の大門に避難
16日≪院≫ 最勝寺講始め
20日≪院≫ 最勝寺講結願
24日    定家、住吉社歌合の題三首賜る
25日    最勝寺講始め
29日    最勝寺講結願。住吉社歌合
      ※この日、源実朝、某清綱から藤原基俊筆の『古今和歌集』を献じられる(『吾妻鏡』)

6月
3日    熊野に御幸(13度目)
13日    大内に御幸
14日※京極殿 ※藤原道家、初度作文和歌会
18日≪上皇≫ 熊野に焼亡あり、還御
22日※高陽院殿
24日※高陽院殿
27日※高陽院殿 「御不倒ノ気有リト云々」

7月
5日※高陽院殿 南山より還御
6日≪院≫ 昨日、近衛基通出家により「済々焉タリ」
7日≪院≫ 権の局、院に参ず
8日≪院≫ 滋野井に御幸
9日≪院≫ 御読経所に入る。数刻、周章の気あり
10日≪院≫ 馬を引かる
11日≪院≫
13日≪院≫
18日≪院≫ 僧正御房をもって御受戒。院宣を以て内大臣・九条良輔を記録所奉行となす
19日    岡崎御所に移御
24日    季御読経結願

8月
1日    大内に御方違御幸。日吉に御幸
2日    寛成親王(尊快入道親王)、御着袴ノ儀
3日≪院≫
8日≪院≫ 昇子内親王、立后節会
9日≪院≫ 和歌所にて五代虚空蔵法結願
10日    定勝法印の養君(尊円法親王)御魚味ノ儀
12日    水無瀬に御幸
15日    還御

9月
5日    明後日、片野御堂供養に臨幸
11日≪上皇≫ 例幣
14日    大内に御幸
16日    大内より還御
19日    四条隆衡を伊勢に遣わし、大神宮に奉幣。明年の三合厄を祈譲
27日    ※藤原朝俊の不始末で朱雀門焼失
28日≪上皇≫ 「近年、天子・上皇、皆鳩ヲ好ミ給フ」

10月
5日≪院≫ 定家、院に召され連歌(高陽院連歌)
17日    射場始めなる。軒廊に御卜あり
24日    吉水大懺法院供養に密儀に臨幸

11月
14日    雅成親王(六条宮)御書始め
19日    水無瀬に御幸
20日≪上皇≫ 明日還御
22日≪院≫ 童を御覧ず
23日≪院・上皇≫ 別功と称する者の搦めごとあり
25日≪院≫ 12月25日に春宮(順徳)御元服の沙汰あり
27日    閑院内裏焼失。大内に御幸

12月
11日≪院≫
25日≪上皇≫ 春宮(順徳)御元服ノ儀

承元3年 欠
承元4年 欠

承元3年の主な出来事
3月
6日 院、南都に御幸(『百錬抄』)
8月
13日 ※定家、実朝に『近代秀歌』を贈る(『吾妻鏡』)
9月
21日 院、熊野御幸(14度目)

承元4年の主な出来事
2月
29日 高陽院殿馬場殿焼失(『百錬抄』)
3月
2日 頼仁親王(冷泉宮)、親王となす(『愚管抄』『百錬抄』)
4月
12日 院外祖母・範子内親王(坊門院)崩御(『猪隈関白記』など)
5月
22日 熊野御幸(15度目)(『百錬抄』)
10月
1日 譲位のうわさ(『玉蘂』)
14日 熊野御幸(16度目)(『百錬抄』)
11月
11日 土御門天皇、譲位。順徳天皇、践祚。(『玉蘂』『猪隈関白記』など)
12月
5日 准宝剣進上。大神宮神剣を宝剣とす(『蓮華王院宝蔵』『猪隈関白記』)
28日 太政官庁において順徳天皇即位(『百錬抄』など)

≪その5 建暦元年~建暦2年(第2巻)へ……≫

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