後鳥羽院project

藤原定家『明月記』にみる後鳥羽院の姿 その5(建暦元年~建暦2年)

 
 
 後鳥羽院の姿を記録する主な公家日記3
 (甚之助蔵 『源家長日記』風間書房、昭和60年。『続史料大成21 伯家五代記<「仲資王記」「業資王記」収録>』臨川書店、昭和42年。藤原長兼『増補史料大成31 三長記』臨川書房、昭和40年。藤原経房『史料大成22・23 吉記』内外書籍、昭和10年)

  ・【運命の四の宮】藤原定家『明月記』にみる後鳥羽院の姿 序奏
  ・その1 治承4年~建仁元年(第1巻)
  ・その2 建仁2年~元久元年(第1巻)
  ・その3 元久2年~建永元年(第1巻)
  ・その4 承元元年~承元2年(第2巻)
  ・その5 建暦元年~建暦2年(第2巻)
  ・その6 建保元年~建保6年(第2巻)
  ・その7 承久元年~嘉禎元年・その後(第2・3巻)

目次

    ●藤原定家『明月記』にみる後鳥羽院の姿 その5(建暦元年~建暦2年)
     建暦元年
     建暦2年

 
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建暦元年

 1211年
 後鳥羽院 32歳
 藤原定家 50歳

:明月記には建暦元年1月~6月の記事が残っていないため、参考までに諸々の史料に記載されている後鳥羽院の動向を付す。
1月
1日 拝礼(『百錬抄』『猪隈関白記』)
5日 七条院御所三条殿に御幸(『猪隈関白記』)
8日 法勝寺修正に臨幸(『猪隈関白記』)
11日 神馬を諸社に進める(『業資王記』)
12日 玄象修理により御祈(『業資王記』)
16日 踏歌節会(『猪隈関白記』)
19日 高陽院に朝觀行幸(『百錬抄』『猪隈関白記』)
21日 尊勝陀羅尼供養(『猪隈関白記』)
23日 水無瀬に御幸(『猪隈関白記』)
25日 水無瀬蓮華寿院で如法仏眼法(『門葉記』)

閏1月
6日 近衛家実の随身下毛野武任の従者、藤原信通の冠を奪い院の逆鱗に触れる(『猪隈関白記』)
11日 還御(『猪隈関白記』)
20日 高陽院殿にて御鞠。和歌御会(『道家公鞠日記』)
21日 最勝寺に御幸、御鞠。新たに蹴鞠裁韈の法式定める(『道家公鞠日記』『後鳥羽院御記』)
30日 熊野に御幸(17度目)(『百錬抄』『猪隈関白記』)

2月
23日 還御(『猪隈関白記』)

3月
1日 最勝寺にて御鞠(『道家公鞠日記』)
4日 内裏鶏合。四天王寺の念仏を停止(『玉蘂』)
5日 水無瀬に御幸(『猪隈関白記』)
9日 建暦と改元。長講堂御八講に臨幸(『百錬抄』『猪隈関白記』『玉蘂』)
21日 水無瀬より石清水に御幸。翌日、翌々日も(『百錬抄』『玉蘂』)
22日 水無瀬で節会習礼(『玉蘂』)
 ※この月、内裏五十首和歌御会(『順徳院御集』)

4月

7日 賀茂社に御幸(『百錬抄』)
10日 大聖院に愛染王法修す(『仁和寺御伝』)
16日 高陽院殿にて尊勝陀羅尼供養(『仁和寺御伝』)
23日 最勝四天王院で一日一切経書写供養(『百錬抄』『猪隈関白記』)
28日 岡崎に御幸(『仲資王記』)
29日 安楽院にて大北斗法を修す(『仁和寺御伝』)
30日 藤原範光の山荘に御幸(『道家公鞠日記』)

5月
1日 旬習礼(『玉蘂』)
9日 新日吉小五月会に臨幸(『三長記』)
14日 最勝講(『百錬抄』)
18日 御鞠(『道家公鞠日記』)
29日 川上に御幸(『玉蘂』)

6月
14日 祇園御霊会(『玉蘂』)、神泉苑に孔雀経法を修し雨を祈る。醍醐寺清滝宮で読経、五龍祭(『業資王記』)
※21日 藤原季能(定家義父)、薨ず(『仲資王記』)
25日 七条坊城殿に御方違御幸(『玉蘂』)
26日 八条院(暲子内親王)崩御(『百錬抄』)

7月
1日≪院≫ 「来タル十日ノ頃、人々公事堅義アルベシ」
 ◎公事堅義(くじりゅうぎ):朝廷によって行われた僧侶の実力をはかるための論議問答
4日≪院≫
9日    七条殿御幸
10日≪院≫ 「堅義延引スト云々」
20日    堅義始めらる
25日    29日、水無瀬御幸の由
26日    水無瀬御幸中止
29日≪院≫ 来月2日に水無瀬御幸

8月
1日≪院、旧院≫ 
2日    水無瀬に御幸
6日    某所に御方違御幸
25日    権中納言坊門忠信・左中将一条信能、遊放により勅勘で官を解かれる

9月
4日≪院≫ 昨日、大嘗会大祓に臨幸。宇佐和気使を発遣
5日    押小路殿近くで出火。七条院の三条殿に御幸
9日    明日、日吉に御幸
10日≪院≫
14日≪院≫ 御所に五体不具の穢により熊野御幸延引
 ※源頼家の子・善哉、出家して公暁と号す(『吾妻鏡』)
22日≪院≫ 定家、院・新院(土御門)・帝(順徳)など諸所に拝賀
24日    三条殿において大響習礼(大嘗会論議)を行う

10月
5日≪院≫
6日    昨夜、内裏滝口本所の屋舎、倒壊
9日≪院≫ 大嘗会大奉幣の官符を下す
11日≪院≫
 ※13日、鴨長明、鎌倉に至り源実朝に謁す(『吾妻鏡』)
14日≪院≫
16日≪院≫ 吉富の庄、大嘗会勅免の先例を云わず
18日≪院≫
19日≪院≫ 大嘗会により大内に御幸
21日≪院≫ 「今度御膳ノ幄・御契ノ幄ニ、次将スベキ由」
22日≪院≫ 大嘗会御契。朱雀門顛倒、ついで造営。夜、某所に御幸
24日≪院≫

 ※11月16日条から12月11日、21・26・27日条、カナで記載される。
11月
4日≪院≫ 拍子合・御神楽。「春華門院御不例、近日六貸(むつか)シクオハシマス」
7日≪院≫ 「(春華門院の)御不例□逐日増気、已ニ憑ム無キガ如シ」
8日≪院≫ 順徳准母・春華門院(昇子内親王)崩御
12日    大嘗会延引。熊野詣は26日御精進屋、30日御進発
16日≪院≫ 内裏穢
21日    美福門院御月忌仏事
23日    大内より三条殿に移御。日吉八王子社で出火
30日    熊野に御幸

12月
5日≪ゐん≫ 馬場殿に焼失
23日    還御
24日    節分により大炊殿へ御方違御幸
26日≪ゐん、院≫
29日≪院≫

 ※この年『世俗浅深秘抄』成立。

建暦2年

 1212年
 後鳥羽院 33歳
 藤原定家 51歳

1月
1日≪院≫ 拝礼
3日   七条院御所・押小路殿に御幸
5日≪院≫ 定家、為家の昇進を掌侍を通じてい院に申し入れる
7日≪院≫ 白馬節会「今日、右馬頭親定参入スト云々。夜前、故障ヲ申ス。院仰ス『障リ有レバ、所職ヲ辞シ申スベシ。他人ヲ以テ任ゼラレ、勤仕セシムベキナリトイエヘリ。仍テ参入スト云々」
9日≪院≫ 法勝寺修正に臨幸
11日≪院≫ 七条院御所に御幸
14日    最勝光院御八講
15日≪院≫ 新院(土御門)御書始
 ※慈円、天台座主就任
16日 踏歌節会
18日 石清水八幡・水無瀬に御幸
 ※25日 法然(源空)入滅

2月
2日≪院≫ 明日、水無瀬に御幸。定家の庭柳を召して高陽院殿の壺に移植させる(4日、9日条にも関連する記載あり)
12日≪院、旧院≫ 歓喜光院修二月会
 ※18日 守貞親王(後高倉院)の皇子・茂仁親王(後堀河天皇)産まれる
23日 延暦寺の衆徒騒擾して園城寺を焼く。院、これを制して止む

:明月記には建暦2年3月の記事が残っていないため、参考までに諸々の史料に記載されている後鳥羽院の動向を付す。
3月
2日 最勝寺にて御鞠(『道家公鞠日記』)
4日 殿上において議定あり(『玉蘂』)
5日 高陽院殿において系図の論議(『玉蘂』)
9日 某所に御幸(『玉蘂』)
11日 高陽院殿にて普賢延命法を修す(『玉蘂』)
12日 大内にて臨時祭習礼(『玉蘂』)
14日 最勝講(『玉蘂』)
22日 建暦の新制二十一箇条を下す(『百錬抄』『玉蘂』<全文収載>)
24日 大内にて白馬節会(『玉蘂』)
26日 賀茂社に参籠(『百錬抄』『玉蘂』『業資王記』)
 ※26日、守貞親王(後高倉院)出家
 ※29日、鴨長明『方丈記』成立

4月
7日≪院≫ 道助法親王が参ず
10日    岡崎に御幸
16日※高陽院殿
18日※高陽院殿
20日    日吉祭
21日    賀茂祭
22日    七条殿に御方違行幸
23日≪院≫ 職事の試詩を行う
26日≪院≫ 水無瀬に御幸
27日

5月
6日    長講堂供花に臨幸
8日    水無瀬より七条殿に還御
9日    定家、清範から「水郷」の読み方が院の見解と同じことを伝聞する
11日    明日、水無瀬に御幸
17日≪上皇≫ 「還御、来タル二十日ト云々」
20日≪院≫ 還御
 ※この月、院宣を下し藤原秀能を鎮西(九州)に遣わして宝剣を捜索させる(『尊卑分脈』)

6月
5日    大内に御幸
6日≪院≫ 「職事棟基、急グ事ノ由を称ス」
9日≪院≫
12日≪院≫ 内裏歌合御会
14日※高陽院殿 祇園御霊会
15日    三条殿に還御
16日≪院≫ 押小路烏丸泉殿におはす
21日≪院≫ 御不予。押小路殿にて七仏薬師法を修す
27日≪院≫ 七仏薬師法結願
28日≪上皇≫ 安楽寿院に八条院の御仏時を修す
29日≪院≫ 九条道家を内大臣に任ず

7月
1日    某所に御幸「鈴奏アリ(中略)泉御所、例ノ如シ。知長乱舞アリト云々。又飲食アリト云々」
2日≪院≫ 九条道家、内大臣拝賀
4日    某所に御幸
8日≪院≫ 最勝講院御八講
9日≪院≫
10日    某所に御幸
12日≪院≫ 院御所押小路殿(烏丸三条坊門殿)にて出火
13日≪院≫ 四条店に御方違行幸。七条殿行幸当座歌会
15日≪院≫ 二条泉より還御。同署に再び御幸「連々相撲アリ」
19日≪院≫ 二条泉より還御。「御厄年ノ七月、尤モ謹慎有ルベシ。悪所ノ泉ニ於テ、毎日此ノ事有リ。心中恐嘆ス。誰カ開白センヤ」
21日≪院≫
23日≪上皇≫ 水無瀬に御方違御幸
24日≪上皇≫ 還御。院宣を下し、幕府九国の守護に令し加茂川の堤防を修せしむ。近江・丹波および諸国の神社仏寺権門領等の課役を免除
25日    明日の行幸、明後日に延引
27日≪院≫ 閑院内裏造営始まる。某所に御方違御幸
 ※この月、当座和歌御会(『順徳院御集』)

8月
1日≪院≫ 神泉苑祈雨御読経
3日    内裏和歌御会
6日    日吉に御幸「今日梶井、明日御奉幣」
7日    七条殿に御方違御幸
10日≪院≫
12日    15日に還御
13日    石清水八幡宮の神人殺される。神人等、院御所・隆衡の第に至り訴える
15日    高陽院殿に還御「近日、庭毎ニ前栽ニ栽ヱラルト云々」
16日≪院≫ 駒牽
17日≪仙洞≫ 御所にて猿楽・白拍子・今様を行う
18日≪院≫ 七条殿に御方違御幸。泉に御幸
21日※高陽院殿
24日    熊野に御幸(19度目)

9月
1日    七条殿に御方違御幸
2日    「聊カ御薬ヲ付ケラルル事有リト云々」
19日※高陽院殿
28日    内裏十首和歌御会

10月
3日≪院、上皇≫ 馬場殿にて相撲を御覧ず
4日    岡崎に御方違御幸
6日    還御
8日    泉に御幸「相撲カ」
9日≪院≫ 明日、北野に御幸
10日≪院≫ 馬場殿にて鳩合。有心無心連歌(※『明月記略』収録)
12日≪院≫ 昨夜、御所にて大嘗会御祈の議定あり
15日≪院≫ 19日高陽院殿に行幸
17日≪院、上皇≫ 19日の行幸、御衰日により沙汰出で来、不定と云々
 ◎衰日(すいにち):陰陽道における凶日
18日    明日、岡崎に御方違御幸
21日≪院≫ 七条院に御幸「人々云フ、十一月中、他所ニ行幸憚ルベキカノ由、忽チ沙汰アリ」
23日    院御所に行幸
24日※高陽院殿 「馬場殿ヨリ密々ニ出デオハシマス。御契ノ地ヲ御覧ズ」
25日    大内に御幸
28日≪院≫ 大嘗会御契
29日    還御

11月
1日    定家、院より節下の大臣の手振の装束について下問あり返答
2日≪院≫ 拍子合、延引。5日、拍子合と国司除目
6日≪院≫ 春日祭
9日≪院≫
10日    定家、越中内侍を通じ院に為家加階を奏請
11日≪院≫ 大嘗会の斎場所に御幸
13日    大嘗会
14日    官庁に行事鈴奏
15日≪院≫ 清暑堂御神楽
16日≪院≫ 豊明節会
17日≪院≫
18日    定家、大嘗会での為家の装束について院より下問あり返答
19日≪院≫ 童女を御覧ず。昨日同様の下問あり
22日    明年2月19日、法勝寺九重塔供養に御幸。3月、両社に行幸
23日≪院≫ 廻立殿に行幸。明日、西坊城にて相撲
 ※この日、明恵『摧邪輪』成立(『明恵伝記』)
25日≪上皇、仙洞≫ 大内に御幸
26日≪院≫

12月
1日    大内より三条殿に還御
2日    二十首和歌<後鳥羽院五人百首>(『拾遺愚草』)
3日≪上皇≫ 22日、雅成親王(六条宮)御元服ノ儀 
4日    9月の内裏十首歌会の歌を書写
5日≪院≫ 院御製以下「ニ十首和歌」を書き連ね次第を建てたものを定家に見せる。「直スベキ事無シ」という定家詠を賞す
6日    仁和寺に御幸。仁和寺にて道助法親王、道法法親王より伝法灌頂を受ける。七条院臨幸
7日    大懺法院報恩舎利講を勅会とする(同月25・28日条記載)
8日≪院≫ 西園寺実宗(定家義父)薨ず
9日≪院≫ 定家に明日連歌のことを伝う
 ※この日、内裏和歌御会(『順徳院御集』)
10日≪院≫ 馬場殿での鳩合で負ける。有心無心連歌(賦 鳥魚)
11日≪院≫ 院御所に行幸
17日≪院≫ 賀茂臨時祭
18日    有心無心連歌(賦 黒白)
19日    御仏名
20日    法勝寺大乗会
21日≪院≫ 院御所に(落)首あり
22日    雅成親王、御元服ノ儀
23日≪上皇≫ ※前日のご様子を記載
24日    院皇子・妙香院宮(名前不詳・少納言内侍の腹)、大僧正長厳に預けられる
25日≪院≫ 有心無心連歌(賦 木・人名)
26日    御書所作文。官奏
28日≪院≫ 有心無心連歌
29日≪院≫ 馬場殿に御幸
30日≪院≫ 追儺・除目

≪その6 建保元年~建保6年(第2巻)へ……≫

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