インド二大叙事詩とヒンドゥー教の聖典について

 前説
 インドの二大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』、そしてヒンドゥー教最高の聖典と称される『バガヴァット・ギータ―』について、その概要をまとめてみました(個人的な復習の意味も含め)。
 かなりザックリとしたまとめになっていますが、本記事はちょっと実験したい部分もあって、今後も随時改訂したりしていきたいと思います。
 また興味を持たれた方はより専門的な書籍やサイトをそれぞれ参照されることをオススメします。

 本文中に出てくる”詩句”(シュローカ śloka)とは、サンスクリットの韻文における音律で、一詩句は二行三十二音節で形成されます(詳しくは下記リンク)。
  cf,サンスクリット文法 補遺1 ~構文・音律~

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 いちばんわかりやすい インド神話

目次

     ・『マハーバーラタ』 ~宗教・教説・哲学……インド精神の源流~
     ・『ラーマーヤナ』 ~一人の英雄、その伝説と悲しみ~
     ・『バガヴァッド・ギータ―』 ~ヒンドゥー教徒の聖書~
     参考文献

 
 
 

『マハーバーラタ』 ~宗教・教説・哲学……インド精神の源流~

 
 
 甚之助 蔵『マハーバーラタ』プーナ批評版
 
 成立年代:B.C.4c頃からA.C.4c頃
 作者:ヴィヤーサ(Vyāsa)
 巻数:18巻 約10万詩句

 あらすじ

 昔、バラタという王がいた。その孫にクルという王がいて、その末裔はクル族(カウラヴァ Kaurava)と呼ばれていた。
 このクル族にドリタラーシュトラとパーンドゥという二王子がいたが、兄のドリタラーシュトラは盲目だったので、弟のパーンドゥが王位を継承することとなった。
 ドリタラーシュトラには百王子と呼ばれる息子たちが、そしてパーンドゥには五王子と呼ばれる息子たち(パーンダヴァ Pāṇḍava)がいた。
 ある日パーンドゥが急死してしまい、盲目のドリタラーシュトラが王位に就くこととなると、パーンドゥの五王子はドリタラーシュトラに引き取られ、百王子と共に分け隔てなく育てられることとなった。しかし学問・武芸に秀でた五王子は、次第に百王子から疎まれ対立するようになっていく。
 百王子は卑劣な手段で五王子を執拗なまでにいたぶり、仕舞いにはイカサマ賭博で五王子の全財産と王国を没収してしまった。
 五王子は奴隷となることは免れたものの都を追放され、以後「12年間森の中で生活すること」「13年目を人に知られず過ごすこと」という百王子からの条件下での生活を余儀なくされた。
 この間、五王子のもとをさまざまな友人らが見舞い、また多くの味方をつくるに至る。
 こうして13年が過ぎ、五王子は約束通り領土の返還を求めたが百王子側はこれを拒否した。
 このことをきっかけに、クル族はカウラヴァとパーンダヴァの両軍に分かれ、同族同士で血で血を洗う戦争へ突入することとなる。
 戦いは18日間におよび、その間、多くの英雄・勇士が次々と命を落とし、カウラヴァ軍は全滅した。またパーンダヴァ軍も勝利したとはいえ、五王子とわずか数人だけが生き残ったに過ぎなかった。
 多くの親族・友人を失ったこの大戦争の後、死者の弔いを経て五王子の第一王子ユディシュティラが王位を継承した。
 盲目の老王ドリタラーシュトラはユディシュティラの王宮で暮らしたが、一族の長老として先の大戦争を憂い、後に森で隠遁生活に入る。
 また五王子も、王位を第三王子アルジュナの息子に譲った後、妻と犬一匹を連れて都を後にし、神々の世界を目指してヒマラヤに登った。
 そしてそこで次々と倒れ、やがて彼らも天上へと昇った。……

 『マハーバーラタ(Mahābhāratam バラタ族を物語る史詩)』は『イリアス』『オデュッセイア』とならび世界三大叙事詩に数えられ、その中でも10万詩句、およそ20万行という膨大な長編で、世界最長の叙事詩とも称されている。
 しかし校訂本によってその長さもまちまちで、写真にあるプーナ批評版ではおよそ8万5000詩句となっている。これはプーナ批評版が俗説や後世の挿入と思われる個所を除去しているためだ。
 また上記の”あらすじ”で紹介した『マハーバーラタ』の本筋は、全体の五分の一にとどまる。残りの五分の四は様々な伝説や神話、説話・教訓譚などの挿話が占めている。この挿話の数も膨大で、それまでの話しの流れとの前後関係なしに突然挿入されたり、一つの物語の中に別の物語が入り込みまた更に別の物語が加えられていたりという具合なので、普通の物語を読むようには到底読むことができない体裁となっている。
 これはバラモンによる権威付けや宗派の影響などの理由から増広改竄すると共に、インド各地に流布伝播するに及んでさまざまに物語を取り込んでいった背景に由来する。その時代その地域において、広大なインド大陸の多種多様な様相を吸収併合したのがこの『マハーバーラタ』という叙事詩である。それゆえに、これは一つの物語という以前に「一つの全体的な文献」といえる。
 
 『マハーバーラタ』には補遺として『ハリヴァンジャ(Harivaṃśa)』三巻があるが、主にクリシュナ伝説を説く内容となっていながら本編との関連は希薄だ。

 この叙事詩で語られる挿話のうち、四大哲学書として名高いのが
  ・Sanatsujāta-parvan(第5巻 40~45章)
  ・Bhagavad-gītā(第6巻 25~42章)
  ・Mokṣadharma-parvan(第12巻 174~367章)
  ・Anu-gītā(第14巻 16~51章)
 である。
 特に『Mokṣadharma-parvan』は7500詩句からなり、「解脱法品」と呼ばれ哲学的に特に重要な地位を占めている。
 『マハーバーラタ』中における哲学的思弁は一貫性のあるものではなく、章節によってさまざまに異なることもあれば類似的考察が認められるものもある。そしてそれらは多くの哲人の口をかりて問答されていく。

 挿話として含まれる物語・神話の中にも独立して取り上げられるものも多く、追放されたパーンダヴァの面々に時を過ごさせるべく、該当する第3巻(vanaparvan 森の巻)は特にその数が多い。
 主だったものでは
  ・魚の物語:洪水伝説が含まれ、『śatapatha-brāhmaṇa』よりも詳細。
  ・ラーマの物語:次節『ラーマーヤナ』と同様だが、記述は簡素。ガンジス河降下神話を含む。
  ・リシュヤシュリンガ仙の話:『今昔物語集』巻五の四「一角仙人」として日本にも伝わる。
  ・シビ王の子ウシーナラの物語:起源および内容的に仏教色が強い。
  ・ナラ王物語
 特に『ナラ王物語(Nalopākhyānaṃ)』は時代による変異変遷が極めて少なく、またその人気の高さからシヴァ派やヴィシュヌ派といった諸宗派からの影響が付加されることも憚られてきた。そのため成立時の古い特徴をそのまま残しているといわれている。

 この『マハーバーラタ』にはインド中でさまざま伝本が伝わっているが、それらを校訂したサンスクリットテキストとして、主に以下のものがあげられる。
  ・カルカッタ版
  ・ボンベイ版
  ・南インド版(クンバコーナム版)
  ・キンジャワデカル版
  ・プーナ批評(批判)版
 カルカッタ版とボンベイ版はいずれも周到にして精緻な編集が特徴的で、両者とも内容的にはかなり酷似している。
 キンジャワデカル版は章節の区分において、上二つと若干のずれがある。この版はプーナで刊行されたものだが、批評(批判)版の方が新しい。
 先述の通り、プーナ批評版は多数の伝本を参照し俗説や後世の挿入と思われる個所を整理・除去している。そのため伝本としてはキンジャワデカル版の方が一貫性を保っている。

 日本語訳に関しては、いまだ完結している原典訳はない。
 故・上村勝彦博士による原典訳『マハーバーラタ』(ちくま学芸文庫)があるが、残念ながら博士の急逝により第13巻目途中までの訳出で未完になっている。
 また山際素男氏編訳のものは完結しているが、これはM・N・ダット博士の英訳を翻訳したいわゆる重訳本である。
 更にC・ラージャーゴーパーラーチャリ編のものを奈良毅・田中嫺玉を訳出しているが、これは全体を107の物語に記述した抄訳である。

 これは私の恩師の一人が言っていたことだが、「『マハーバーラタ』の原典訳に取り掛かろうとした研究者は皆その途中で亡くなってしまう、というジンクスがある。……呪いというのは冗談にしても、やはり『マハーバーラタ』を本格的に訳出しようとしたら、広範な知識だけでなくインドという国の歴史や文化にも精通していなければ到底不可能。長い間研究を続けた末にはじめて翻訳に取り掛かれる。結局みんな老境に至ってそのレベルにまでたどり着けるんだから、訳し終える前に寿命がもたないんだよ。本当にこの訳出に人生を捧げる、そんな気で研究していたとしてもだ」
 今となればその言葉の重みが痛いほど分かる。そしてインド文学の泰斗・上村博士の急逝が悔やまれる。
 なお上村訳はプーナ批評版を底本に、そのほかの伝本・校訂本を参照している。
 
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 インド神話―マハーバーラタの神々

  

『ラーマーヤナ』 ~一人の英雄、その伝説と悲しみ~

 
 
 甚之助 蔵『新訳 ラーマーヤナ』中村了昭訳
 
 成立年代:B.C.4c頃からA.C.4c頃
 作者:ヴァールミーキ(Vālmīki
 巻数:7巻 約2万4000詩句

 あらすじ

 ダシャラタという王の息子・ラーマは文武両道に優れ国民からの信望も篤い王子だった。
 その王位継承の前夜、侍女にそそのかされたダシャラタ妃の一人が自分の産んだバラタを王位に就かせるようダシャラタに迫った。その結果、ラーマは妻シーターと共に都を追放されることとなる。王位についたバラタは兄ラーマを呼び戻そうとしたが、聞き入られることはなかった。バラタは「自分はラーマの代理である」という意思を貫き、玉座にラーマの靴を頂き国政を執った。
 一方森で隠遁生活していたラーマは、あることをきっかけに羅刹王ラーヴァナにシーターを誘拐されてしまう。
 シーター奪還の旅に出たラーマは途中、勇敢な猿の英雄・ハヌマーンらを仲間にラーヴァナを倒し、シーターを救出することに成功した。
 しかし身の潔白を疑われたシーターは火の中に身を投げてしまう。火神アグニはその身の潔白を認め救い出し、晴れてラーマとシーターは都へと凱旋し王位につくこととなる。
 王位についたラーマは理想的な君主として国を治めたが、国民の中にはシーターの潔白を疑う声が絶えなかった。
 結果ラーマはシーターを捨てる決意をする。悲嘆にくれたシーターは森の中へ隠遁したが、ヴァールミーキ仙の草庵でラーマとの間の双子を産む。
 ヴァールミーキ仙自らラーマにシーターの身の潔白を訴えたが、ラーマの心が変わることはなかった。
 シーターはなおも地母神にその身の潔白の証明を祈ったが、地母神はシーターを抱き、そのまま地中奥深くへと消えて行った。
 ラーマは程なくシーターの産んだ双子に王位を譲り天上へと昇り、その真の姿であるヴィシュヌ神へと戻った。……

 『ラーマーヤナ(Rāmāyana ラーマの行状記)』は2万4000詩句およそ4万8000行におよび、これは聖書とほぼ同じ長さである。
 
 過酷な運命に翻弄されながらも理想的君主像として今なお人気の高いラーマ。そして”悲しみの情緒(kāruṇya-rasa)”というテーマ性と登場人物たちの道徳的性格から、現代インドにおいても絵画・音楽・映画・演劇・舞踊・彫刻といった幅広い芸術分野で題材とされる。また古くからインド文化を受容していた東南アジア一帯にも広く影響を与えている。
 長大であるが文法上の音律的違反が極めて少ないのも特徴的で、そのため『ラーマーヤナ』は「最初の芸術(ādi-kāvya)」、作者のヴァールミーキは「最初の詩人”ādikavi”」と呼ばれている。
 この叙事詩においてもさまざまな挿話がなされているが、『マハーバーラタ』ほど多くはなく”あらすじ”に示したストーリーが一貫して主軸となっている。また挿話自体も本筋を補助することもなければ妨げることもなく、どちらかといえば登場人物たちの性格描写に寄与している面がある。
 
 『ラーマーヤナ』は古来より語り継がれてきた英雄譚が、ある時期よりまとめられ職業歌人の吟詠により広く口承されるようになった。
 伝説では、ある日ヴァ―ルミーキが偶然美しいシュローカ調の音律を得た際ブラフマー神が現れ、その音律でラーマの行状を歌い上げることを進言した。その後、北インド・タマサー河の畔で暮らしていたが、そこで誤解によって追放されたシーターを擁護した。その後うまれたラヴァとクシャの双子を養育し、『ラーマーヤナ』の吟唱を教示したとされている。ヴァールミーキ自身も第1巻と第7巻に登場するが、この二巻は後代に追加されたもので、元々は現在の第2~6巻の全五巻であったとされている。
 ちなみにこのラヴァとクシャだが、「俳優」「歌手」「舞踊家」を意味するサンスクリットの”kuśīlava”という単語に由来する。

 また『マハーバーラタ』に比して哲学的な挿話が少ないことから、後世になって哲学的詩編を加えた改作が繰り返し発表された。代表的なものとしてヴェーダーンタ学派的な『ヨーガヴァーシシュタ・ラーマーヤナ』『アディアートマ・ラーマーヤナ』などが挙げられる。
 東南アジア一帯に影響をあたえた以上に、古くから広範囲の言語への翻訳もみられる。東南アジア諸語以外では、ネパール・チベット・モンゴル・コータン・ペルシャ各語への翻訳本が確認されている。日本にもその挿話のいくつかが『六度集経』『雑宝蔵経』等を経て伝えられ、平康頼『宝物集』巻五に収められている。

 伝本は古くより西インド本・ベンガル本・ボンベイ本が流布本の三大支流とされてきている。
 校訂されたサンスクリットテキストとして
  ・バローダ批評版
  ・ボンベイ版
  ・ニルナヤサーガラ版
 が主だったものとして知られている。
 
 日本語訳としては中村了昭訳『ラーマーヤナ』(東洋文庫)が完結している。中村訳はボンペイ版を底本にバローダ批評版を参照している。
 この翻訳に先立つものとして故・岩本裕博士の翻訳があるが、精緻な翻訳であったが訳者急逝のため第二巻七十九章までの訳にとどまっている。こちらもボンペイ版を底本としている。
 校訂本のうちバローダ批評版に関して、岩本博士は「曽て存在しなかった『ラーマーヤナ』の一伝本を作り上げたに過ぎない(中略)校訂が機械的に過ぎたために文脈の断絶する」と指摘しており、テキストとしてかなり問題がある。
 
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 新訳 ラーマーヤナ 1

 

『バガヴァッド・ギータ―』 ~ヒンドゥー教徒の聖書~

 
 
 甚之助 蔵『JRIMAD BHAGAVAD GITA』より冒頭部分
 
 成立年代:B.C.5c頃からB.C.2c頃
 作者:ヴィヤーサ(Vyāsa)
 巻数:18章700詩句

 あらすじ

 『マハーバーラタ』中、クル族間でのカウラヴァ・パーンダヴァ両軍による戦いへ出るに及んで、五王子の第三王子アルジュナは同族同士が互いに敵対し殺し合うことを深く悩み、また罪悪を覚え戦意を喪失していた。仕舞いには武器を投げ捨ててしまう。
 その時、彼の御者を務めていたクリシュナ(ヴィシュヌ神の化身。化身については後述)はアルジュナを励まし、なぜ戦わなければいけないのかを説き決意を促した。
 哲学・信仰・解脱といった諸問題を共に解き明かす中で、クリシュナはアルジュナの迷いを払拭させていく。…… 

 ヒンドゥー教徒にとっての聖書といっても過言ではない『バガヴァッド・ギータ―(Śrīmadbhagavad gītā 神の歌)』は、『マハーバーラタ』第6巻「ビーシュマの巻(Bhīṣhmaparvan)」の25章から42章(版によっては23章から40章)にあたる。
 ヒンドゥー教の源流であるバラモン教で説かれた基本概念”ダルマ(dharma 法・正義・道徳)”、一神教的帰依である”バクティ(bhakti 信愛)”、各ヨーガの実践による解脱(vimokṣa)を中心軸に、ウパニシャッドあるいはヴェーダーンタ学派で説かれるブラフマンの思想、サーンキヤ学派の二元論、また一神教的視点を同居させるなど、人間の倫理と道徳上の苦悩を暗示したストーリーの中にインド思想における諸要素を絶妙な論理で縫い合わせ展開している。
 「ここからヒンドゥー教が始まった」とされるほど、インド社会の隅々にまでのその影響が派生している。

 『マハーバーラタ』中の一節であったため、正確な成立年代は詳らかではなく、また大衆寄りの性格からヴェーダ文献のように厳格な普遍性をもって伝承されたものではない。『マハーバーラタ』が無数の挿話を吸収してきた背景も相俟って、その成立過程を模索することは容易ではないが、7世紀のサンスクリット作者バーナなどの記述からその時代にはすでに『マハーバーラタ』に挿入されていたことが確認できる。

 本書に登場する重要人物としてアルジュナの御者であるクリシュナが挙げられる。
 クリシュナは前節のラーマ同様、インド三大神の一人・ヴィシュヌ神の化身(Avatāra)とされている。
 ヒンドゥー教のヴィシュヌ派において、ダルマが衰え悪が栄えた世には神が特別な姿でこの世に現れダルマを興すと説かれている。このことについては『バガヴァッド・ギータ―』第4章8節でも解かれている。
 後のプラーナ文献などを経て、ヴィシュヌ神の化身には民間信仰に現れる動物や人物、古来より信仰されてきた神々などが加えられており、一般的には10の化身があるとされている。『バーガヴァタ・プラーナ』では22もしくは25のアヴァターラが収録されている。
 一般的とされる十化身では
  ・matsya 魚
  ・kūrma 亀
  ・varāha 野猪
  ・nṛsiṃha 人獅子
   以上四つは宇宙が破滅する時期(satya-yuga)に現れるとされる。
  ・vāmana 倭人  
  ・paraśurāma 斧を持つラーマ
  ・rāma ラーマ
  ・kṛṣṇa クリシュナ
  ・buddha 仏陀
  ・kalki カルキ
 となっている。
 
 インド国内はもとよりヨーロッパ諸国でも古くから愛読されている書物のなので、その伝本や翻訳本は多岐にわたる。
 日本語訳も上村博士の原典訳『バガヴァッド・ギータ―』(岩波文庫)はじめ多数刊行されている。

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 バガヴァッド・ギーター

参考文献

・『インド哲学史』金倉圓照 平楽寺書店 1962
・『印度中世精神史』金倉圓照 岩波書店 1983
・『バガヴァッド・ギータ―の世界』上村勝彦 NHKライブラリー 1998
・『インド神話』上村勝彦 ちくま学芸文庫 2003 
・『インド神話伝説辞典』菅沼晃 東京堂出版 1998
 
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 インド神話伝説辞典

 
・『ヒンドゥー教』菅沼晃 評論社 2002
・『新訳 ラーマーヤナ』中村了昭 東洋文庫 2012
・『インド思想史』早島鏡正ほか 東京大学出版 1983
・『サンスクリット文学史』マクドネル,木村俊彦訳 山喜房 1975

 などなど……

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