後鳥羽院像に迫るための資料
(甚之助蔵 『宸記集』藝林社、昭和49年。田邑二枝『海士町史』海士町役場、昭和49年)
・【運命の四の宮】藤原定家『明月記』にみる後鳥羽院の姿 序奏
・その1 治承4年~建仁元年(第1巻)
・その2 建仁2年~元久元年(第1巻)
・その3 元久2年~建永元年(第1巻)
・その4 承元元年~承元2年(第2巻)
・その5 建暦元年~建暦2年(第2巻)
・その6 建保元年~建保6年(第2巻)
・その7 承久元年~嘉禎元年・その後(第2・3巻)
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史伝 後鳥羽院〈新装版〉
建保元年
1213年
後鳥羽院 34歳
藤原定家 52歳
1月
1日≪院≫ 拝礼、四方拝、節会
2日≪院、上皇≫ 左右近、近々立ち替るべき由、頻りに渋る
3日≪院≫ 殿上円淵酔
4日 御幸始。七条院御所に御幸
5日≪院≫ 18日に水無瀬御幸の由
7日 白馬節会
10日 内裏御作文、和歌御会、高陽院連歌会
13日≪院≫ 法勝寺修正に御幸
16日 踏歌節会
17日≪院≫ 定家に自詠の和歌二十首を撰進せしめ給う
18日≪院≫ 蓮華王院修正に臨幸
19日≪主上≫
20日≪院≫ 尊勝陀羅尼供養。3月10日八幡、翌日鳥羽殿、15日に賀茂に御幸の由
※この日、藤原俊成女、出家。
21日 石清水八幡、水無瀬に御幸
23日 定家に歌百首の撰進を命ず
28日 「別当徴行シテ蓬功ニ入リ、柳樹二本ヲ見、高陽院ニ堀リ渡スベキ由、青侍ニ命ゼラルト云々」
29日 「柳ノ間ノ事ナリ。二本掘リ取ルベキ由ト云々。是レヲ勅定ノ由ヲ称ス。近代ノ儀、草木猶此ノ如シ。午ノ時許リニ、侍等数多ノ人数ヲ引率シテ之ヲ掘ル」
3月 欠
17日 法性寺に御幸(『百錬抄』)
18日 内裏和歌御会(『順徳院御集』)
24日 仁和寺大聖院にて北斗法を修す(『御室相承記』)
26日 川崎に御幸(『百錬抄』)
30日 賀茂社に参籠(『百錬抄』)
4月
2日 8日に岡崎御幸の由
3日 9日暁に高陽院還御の由
7日≪院≫ 祭除目
10日≪院、仙洞≫ 御鞠
11日≪院≫ 道法法親王、御悩。院より「猶御灸アルベキ由、頻リニ仰セラル」
12日 今夜の還御、明夕へ延引
13日≪主上≫ 御所にて御鞠。為家、参仕
14日 賀茂祭
18日≪院≫
21日≪院、上皇≫ 定家による院批判
「上皇、禁中二入リオハシマスベカラズ。仙洞ニ行幸ノ時、公事ヲ御覧ズ。憚ルベカラズト云々。陣の座・殿上・内侍所以下ニ渡ラルルカ。何ノ所カ禁中ニアラザランヤ。嗟嘆シテ余リ有リ」
24日≪院≫
25日≪上皇≫ 法勝寺に御幸。承明門院常行堂に御幸
26日≪院、上皇≫ 法勝寺九重塔供養
27日≪院≫ 還御
28日≪上皇≫ 定家による院批判
「毎日(順徳と)御対面ト云々。女房御供シ、密々二渡リオハシマス(已ニ中ノ築垣ノ詮無キカ。已ニ隔ツルノ名有リ。今聖上皇居ヲ出デ、仙洞ニ渡リオハシマスニ、百司随ハズ。之ヲ思フニ猶如何)。」
29日≪上皇、仙洞≫ 御鞠。定家、宝剣海没に事寄せて院批判
「皇居ノ西門ノ内ニ於テ(故春華門院殿上ノ屏ノ前)御鞠ト云々(上皇・天子<順徳>)、毎事恐レ有ルニ依リ委シクハ問ハズ。最勝講、此ノ内裏ニ於テ行ハルベシト云々。或ハ後魏西河ノ遊ビ、連日連夜。已ニ文王ノ世子タルガ如シ。或ハ周穆驊騮騄駬ノ興、同ジク月令郊外ノ儀タリ。但シ、神尭ノ紫宮二入ルニ至リテハ、未ダ和漢ノ例ヲ聞カザル者カ。百王八十余代、神剣海ニ没シテ茲ニ卅廻。事ノ理リ然ルベシ。是レ則チ人力ニアラザルカ。」
5月
1日 法勝寺三十講
※2,3日 和田合戦(『吾妻鏡』)
3日≪院≫ 最勝講
4日≪院≫ 御所にて御鞠。また御鞠あり。栄西に大師号宣下
5日≪院≫ 最勝講
7日≪院≫ 最勝講。定家、布施取りの際に笏を落とす。
9日≪院≫ 新日吉小五月会に臨幸
10日≪仙洞≫ 法勝寺三十講
14日≪院≫ 一昨日、左近将監・藤原教実を除籍
15日≪院≫ 御禁制
16日 「少々為家、近日日夜蹴鞠ト云々。両主好鞠ノ日ニ遇ヒ、憖ニ近臣トナリ」
17日≪院≫ 昨日関東より書、到来「在京ノ武士下向スベカラズ。院ノ御所ヲ守護スベシト云々」
19日≪院≫ 御鞠「毎日、此ノ事有リト云々」
20日≪院≫ 定家に内裏恋十首歌会の和歌十首を召す
22日≪院≫ 藤原光家(定家の長男)が九条良輔より与えられた山田荘が院に召し上げられる
24日≪院≫ 高陽院より閑院内裏に還御
25日 最勝講。水無瀬に御幸
26日 内裏御鞠
27日≪院≫ 為家の装束を賞す
6月
6日≪院≫ 為家、院と順徳の御書御使を勤める
11日≪院≫ 院宣を下し、定家所領越後国小森保から相撲人を召す
13日≪院≫ 院御所に御幸
14日 祇園御霊会
15日≪院、主上≫ 高陽御院殿に御幸
26日 八条院御仏事を修す
28日≪上皇≫ 三条坊門泉殿に還御
29日≪院≫ 為家を召し御書を賜う
7月
1日≪院≫ 川崎に御幸。御鞠
2日≪院≫ 狐坂に御幸。為家に装束を賜う
3日≪院≫ 法勝寺御八講。菅原為長に貞観政要を進講せしめ給う
5日 法勝寺に御幸
6日≪院≫ 川崎に御幸
10日 按察内の女房を捌し、川崎に御幸
11日≪院≫ 「貞観政要ヲ聞コシ食ス事、今日日ヲ終フベシ」
14日≪院≫
15日≪院≫ 二条泉に御幸。三条坊門殿に御幸
17日≪院≫ 松尾社歌合。御所にて御鞠
18日 熾盛光法に臨幸
19日≪院≫ 為家を召し御書御使
20日≪院,上皇≫ 水無瀬に御幸。道家に建仁3年左大臣良経春日詣の装束を注進
21日≪院,上皇≫ 還御。川崎に御幸。御鞠
23日≪院,上皇≫ 還御。熾盛光法結願
24日 川崎に御幸
25日≪上皇≫ 藤原師経を伊勢に遣わし大神官に奉幣
26日≪院≫ 仁王法経を修す。
※この日、定家、道家のもとで有家と共に百首課題を評定
27日≪上皇≫
8月
1日≪院≫
3日 延暦寺末寺と清水寺との争いごとに院宣を下し制止せしめ給う
5日≪院≫ 延暦寺衆徒の騒動により30日の穢とす。石清水放生会延引
7日≪院≫ 請雨経法により雨降る「大雨忽チ降ル。法験ナリ」
8日≪院≫ 定家、一昨日吉富荘をめぐる謀書到来す。院宣を賜る
9日≪院≫
10日≪仙洞≫
11日≪院≫ 定考
12日≪院≫ 為家を召し御書御使
※13日 定家、実朝から和歌文書等を請われる。17日に雅経に託し贈る(『吾妻鏡』)
14日≪院≫ 岡崎より還御。京にて地震あり
15日≪院≫ 川崎に御幸
16日 駒牽
17日≪院≫ 川崎に御幸「今日又川崎ト云々。連日ナリ」仏願法結願
18日≪院≫ 為家を召して御書御使
19日 高陽院殿に御幸
20日≪院≫ 一条能保女(院大納言局)、一昨日没す。川崎より還御
21日≪院、上皇≫ 押小路殿より還御。為家を召して御書御使
22日≪院≫ 馬場殿に御幸
25日 高陽院殿に御幸。七瀬御祓
27日≪院≫ 御読経衆律師・能玄を追却
9月
1日≪院≫
3日≪上皇≫ 西面武士・後藤基清、藤原兼子の所領・播磨細川荘で狼藉。兼子が院に訴え和解
4日 兼子の逆修所に臨幸。又御幸
5日 御読経衆をして読経せしめらる
6日≪上皇≫ 水無瀬に御方違御幸
9日 院皇子・一条宮、薨ず
10日≪院≫ 御除服
11日≪院≫ 伊勢例幣
13日 逆修所に臨幸。内裏にて道家家歌合
15日≪院≫
16日≪院≫ 藤原知長を管責し給う
19日≪院≫ 南京の悪僧を流罪
21日 内裏御物忌み
22日≪院≫ 長講堂供花。御所にて相撲
26日≪院≫
28日≪院≫
閏9月
1日≪院≫
3日≪院≫ 御所にて御鞠
4日≪院≫ 為家を召して御鞠。川崎に御幸
5日≪院≫ 馬場殿に御幸。馬場殿有心無心連歌(賦 黒白)
6日 最勝寺に御幸
7日 為家を召して御鞠
9日≪院≫ 七条院に御方違御幸
10日≪院≫ 御所にて御鞠
11日≪院≫
12日 為家を召して御鞠
13日≪院、上皇≫ 道法法親王、結縁経を供養
18日≪院≫ 為家を召して御鞠
19日≪院≫ 為家を召して御鞠
20日 水無瀬に御方違御幸
21日≪院≫
22日≪院≫ 定家に内裏歌合の加判を命じる
23日≪院≫ 定家、内裏歌合の判詞を進上。為家を召して御鞠
27日 熊野に御幸(20度目)
10月
3日※高陽院 定家に先月29日の内裏歌合の加判を命じる。定家、翌日進上
5日※高陽院 「留守ノ間と雖モ、番日ノ人々参内スベシ」
11日※高陽院
※15日 京で大火あり、藤原有家・難波宗長らの邸焼失
22日≪上皇≫ 還御
23日≪院≫ 川崎に御幸
24日≪院≫ 川崎に御幸
25日≪院≫ 為家を召して御鞠。前関白・松殿基房の前室の八条高倉第にて怪異あり
26日≪院≫ 院御所に御幸。御鞠
29日 三条殿、七条殿、水無瀬に御幸
30日≪院≫ 「院仰セニ云フ、奈良法師発白セバ、宇治ノ橋ニ行クベシ。来タルベカラズト云々」
11月
2日※水無瀬殿 「女房示シ送リテ云フ、少将(為家)小忌ヲ著スベキノ由」
5日 明後日還御。春日祭延引
6日≪院≫ 春華門院御忌八講。院御点の由、藤原長清再びこれを責む
8日 坊城殿にて春華門院御忌八講
※定家、実朝の求めにより秘蔵の『万葉集』を雅経に託し送る。23日に実朝の手に渡る(『吾妻鏡』)
9日 西塔に僧網慥に制止を加える院宣
10日 女官除目。御所に御幸
12日≪院≫
13日≪院≫ 新嘗祭。神祇官に御幸
14日≪院、上皇≫ 豊明節会
16日≪院≫ 稲荷に御幸
17日 昨日院宣を下し、清水寺を元の如く末寺たらしむ。葉室光親を興福寺に遣わし、天台座主以下を処分。毎年律師一人を賜うべき由告げる
18日 御馬を御覧ず。為家に直衣を召される
19日 賀茂臨時祭。慈円を天台座主に還補
20日≪院≫ 川崎に御幸
23日≪院≫ 美福門院御月忌御仏事
24日≪院、上皇≫ 某所に御幸。中宮、入代「長秋宮入リオハシマス有ルベシト云々。密々ニ祝言。上皇ノ御夢想ト云々」院御所北面御櫛合
26日 川崎に御幸。御鞠(30日条に記載)
28日≪院≫ 為家を召して御書御使
29日 藤原輔平の第に臨幸。親しく病を視給う。この日、輔平没す。
12月
1日≪院≫ 出御
2日 如法尊勝法を修せしめ給う。臨時尊勝陀羅尼供養
3日 為家を召して御書御使。内裏御遊
5日 最勝光院御念仏
6日≪院≫ 馬場殿に御幸、御鞠。臨時尊勝陀羅尼供養
建保と改元。定家、改元について院批判
「此ノ声、献宝カ。献金ノ路ヲ称ス。飽ク無キノ政ノ然ラシム。如何ト云々」
7日 弓場始延引。川崎に御幸、御鞠。内裏連歌。院宣を下し、延暦寺六月会の講師代三年勤仕のものを以て権律師に任ず
8日≪上皇≫ 雪御覧。改元の年号、転々とす
10日 為家を川崎に召す
11日≪院≫
13日 水無瀬に御幸
※この日、建礼門院、崩御(『平家物語』『源平盛衰記』等)
17日 節分により三条坊門殿に御方違御幸。弓場始、また延引
20日≪上皇≫ 23日に還御
29日※高陽院 為家を召して御鞠
※この年、源顕兼『古事談』成立
建保2年
1214年
後鳥羽院 35歳
藤原定家 53歳
1月
3日 高陽院殿に朝觀行幸
7日≪院≫ 白馬節会
19日≪院≫ 尊勝陀羅尼
2月
2日≪主上≫ 内裏詩歌合
8日 院、為家に蹴鞠の際に紫革白地韈を著くることを聴き、蒔絵弓・平胡籙を賜う
27日≪主上≫ 某所に御幸
3月
29日 院御所にて御鞠。飛鳥井雅経の遅参を勧責し籠居させる
4月 欠
※この月の記載は全て『後鳥羽院宸記』による。
1日 旬御鞠
2日 上北面・西面笠懸
3日 笠懸。御鞠
4日 神泉苑に御幸。笠懸
5日 御鞠
6日 御鞠。笠懸
7日 御鞠
9日 御鞠
10日 神泉苑に御幸。笠懸
11日 御鞠
13日 御鞠
14日 御鞠
15日 水無瀬に御幸。御鞠
16日 御鞠。園城寺焼失す
17日 御鞠。笠懸
18日 御鞠
20日 稲荷に御幸
21日 近衛家実の子・家通の直衣始めに剣を賜う。御鞠。賀茂に御幸
22日 賀茂社下宮参籠
23日 競馬
25日 賀茂社上宮参籠
26日 御鞠
27日 笠懸
28日 競馬
29日 還御
30日 為家を召して御所御使。御鞠5月 欠
1日 園城寺の学生不参により法勝寺三十講延引(『後鳥羽院宸記』)
8日 高倉天皇33年御忌のため、大成就院にて正懺悔如法経十種供養に臨幸(『門葉記』『百錬抄』)
9日 新日吉小五月会(『百錬抄』)
18日 道法・道助法親王に仁王経法を修せしめらる(『仁和寺御伝』)6月 欠
1日 法勝寺で愛染王法護摩を修す(『三僧記類聚』)
5日 神泉苑祈雨御読経(『東寺長者補任』)
8日 院御所七仏薬師法(『阿沙縛抄』)
10日 前斎院・礼子内親王、嘉陽門院と号す(『百錬抄』)
29日 大内に御幸(『百錬抄』)7月 欠
4日 春日・大原野・吉田三社に奉平使を遣わす(『仁和寺日次記』)
7日 内裏当座和歌御会(『順徳院御集』)
11日 高陽院殿に御幸(『百錬抄』)
15日 道法法親王に尊勝法を修せしめられる(『御室相承記』)
16日 賀茂に御幸(『百錬抄』)
23日 七条院御悩により御幸(『百錬抄』)
8月
27日 水無瀬馬場殿院撰歌合
28日 水無瀬馬場殿連歌会(上句反読下句三句中略)
29日 水無瀬馬場殿院撰歌合せ。笠懸
9月 欠
8日 内裏名所撰歌合(『順徳院御集』)
13日 内裏十三夜和歌御会(『順徳院御集』『拾遺愚草』)
14日 和歌所和歌御会(『拾遺愚草』)
20日 熊野に御幸(21度目)(『百錬抄』)
10月
2日 内裏人麿影供和歌御会
11日※高陽院 定家に和歌三首を詠進せしむ。岡崎に御幸
11月 欠
13日 熾盛光法を修す(『門葉記』)
21日 光明寿院に道法法親王の御病を見舞うが、この日薨ず。道助法親王を仁和寺事務に補す(『仁和寺日次記』)
二条猪熊より出火。高陽院の東門・中門など焼失。院は押小路殿に御幸(『百錬抄』)
12月
13日 昨日、弓場始
14日≪院≫
建保3年
1215年
後鳥羽院 36歳
藤原定家 54歳
1月
6日 昨日、叙位
15日≪院≫ 踏歌節会
2月 欠
15日 天地災変祭(『諸祭文故実抄』)
17日 石清水において御神楽(『御神楽雑記』)
26日 御鞠(『後鳥羽院宸記』)3月 欠
9日 長講堂八講に臨幸(『百錬抄』)
10日 大内および閑院内裏で除目習礼(『皇帝紀抄』)
11日 旬御鞠(『道家公鞠日記』)
14日 凞子内親王を斎宮とする(『仁和寺日次記』)
17日 明日、最勝講に臨幸(『道家公鞠日記』)4月 欠
11日 旬御鞠。また御鞠(『道家公鞠日記』)
21日 旬御鞠(『道家公鞠日記』)
25日 頼仁親王(冷泉宮)御元服ノ儀(『四黄記』)5月 欠
5日 御鞠。祈雨給う(『道家公鞠日記』)
7日 水無瀬より岡崎に還御(『百錬抄』)
15日 賭銭連歌(『後鳥羽院宸記』)
19日 賭銭連歌(『後鳥羽院宸記』)
24日 三十七箇日御逆修を行う(『仁和寺日次記』)6月 欠
2日 四十五番歌合。藤原忠信をもって同歌合一巻を実朝に贈らしめ給う(『吾妻鏡』)
11日 内裏月卿雲客妬歌会(『順徳院御集』)
16日 院御所歌合(『和歌合略目録』)
18日 内裏歌合(『順徳院御集』)
29日 内裏当座和歌御会(『順徳院御集』)7月 欠
3日 法勝寺御八講に臨幸(『順徳院御集』)
5日 院宣を下し、実朝に諸寺僧徒の武勇を好むことを停止せしむ(『仁和寺日次記』)
※栄西、没す(『吾妻鏡』)
7日 内裏七夕和歌御会(『順徳院御集』)
12日 近臣に神泉苑の池の掃除を命ずる(『仁和寺日次記』)
8月
15日≪院≫ 内裏歌会(『明月記略』)
24日≪院≫ 某所に御方違御幸
9月
11日 定家に内裏名所百首の詠進を命ず
23日 定家、内裏名所百首のうち50首を詠進
25日 定家、残りの50首を詠進。翌日加点
29日 定家に百首題を年内に詠進するよう命ずる
10月
1日≪院≫
24日 内裏名所百首和歌御会
建保4年
1216年
後鳥羽院 37歳
藤原定家 55歳
1月
6日 昨日、叙位
28日≪仙洞≫ 定家、前年9月に賜った『建保四年百首』を詠進
2月 欠
5日 水無瀬で自筆瑜伽論百巻を供養(『百錬抄』)
この月、後鳥羽上皇百首御和歌(『後鳥羽院御集』)3月 欠
10日 修明門院と石清水に参籠(『百錬抄』『仁和寺日次記』)4月 欠
2日 殷富門院、崩御(『百錬抄』『吾妻鏡』)
21日 最勝講(『百錬抄』)
26日 祇園・北野両社および水無瀬に御幸(『百錬抄』)5月 欠
9日 新日吉小五月会に御幸(『百錬抄』)6月 欠
7日 院宣を下し、香取社を造営せしむ(『香取文書纂』)
※15日、実朝、宋人・陳和卿を引見閏6月 欠
※1日、中原広元、大江と姓を改めしむ(『吾妻鏡』)
※10日、鴨長明、没す(8日とも?)
15日 日吉に御幸(『百錬抄』)7月 ※9・21日条のみ現存
5日 法勝寺御八講(『百錬抄』)8月 欠
8日 院宣を下し、延暦寺根本中堂廻廊修理木材の運搬を妨げることを禁ず(『天台座主記』)
16日 熊野に御幸(23度目)(『百錬抄』)9月 欠
※20日 広元、実朝の官位上昇を望むを諫める(『吾妻鏡』)
25日 日吉に御幸(『天台座主記』)
29日 観修寺に御幸。御鞠(『仁和寺日次記』『道家公鞠日記』)10月 欠
11日 嵯峨清浄心院に御幸。庚申和歌御会(『後鳥羽院御集』)
11月
1日≪院≫ 内裏歌会
建保5年
1217年
後鳥羽院 38歳
藤原定家 56歳
1月
7日 白馬節会
2月
13日 城南寺に御幸。庚申御会
3月
1日 明日、内裏闘鶏
5日 石清水臨時祭
※22日、順徳皇女・諦子内親王(明義門院)産まれる
18日 鳥羽殿に御幸(18日条に記載)
4月
14日 庚申詩歌会。連句(陽唐韻)、連歌会(賦 草木)
16日≪院≫ 一昨日の詩歌会での定家の和歌を抜群だったと叡感
5月 欠
8日 城南より還御(『百錬抄』)
9日 新日吉小五月会(『百錬抄』)
10日 水無瀬に御幸(『百錬抄』)
6月
14日≪院≫ 大炊殿に御幸、庚申扇合。これ以前、定家を召し扇に書く歌を詠進させる
7月 ※4日条のみ現存
この月、御悩(『百錬抄』『仁和寺日次記』『吾妻鏡』等)8月 欠
5日 御悩、平癒(『百錬抄』『仁和寺日次記』)
14日 水無瀬に御幸(『百錬抄』)9月 欠
30日 熊野に御幸(24度目)(『百錬抄』)10月 欠
26日 熊野より還御(『百錬抄』)11月 欠
5日 水無瀬に御幸(『百錬抄』)
8日 院勘をして西園寺公経を籠居させる(『愚管抄』)
※10日、大江広元、出家(『吾妻鏡』)
17日 祇園・稲荷・石清水に御幸(『百錬抄』)
12月 欠
13日 日吉に御幸(『天台座主記』)
21日 院皇子・尊円、御受戒(『仁和寺日次記』)
建保6年
1218年
後鳥羽院 39歳
藤原定家 57歳
1月
2日 某所に御方違御幸。為家、供奉
5日 某所に御幸。為家、供奉
14日≪院≫ 昨日除目。実朝、権大納言に任ず
16日 踏歌節会
19日 定家、藤原清範から「中将(為家)、骨ヲ得タレドモ鞠ヲ好マズ。不便ノ由」という院の沙汰があったことを聞く
2月 欠
※4日、北条政子、熊野に詣ず(『吾妻鏡』)
21日 内裏歌会(『順徳院御集』)3月 欠
1日 旬御鞠(『道家公鞠日記』)
9日 上達部殿人を日吉に遣わす(『仁和寺日次記』)
30日 賀茂に御幸(『百錬抄』)4月 欠
2日 院宣を下し東大寺七重塔材木勧進の訴を裁く(『高野山文書』)
4日 太秦殿に御幸。政子、その儀を排す(『吾妻鏡』)
8日 最勝寺に御幸。御鞠(『道家公鞠日記』)
14日 御鞠、北条時房参候す。臨時女叙位で、政子、従三位となる。翌日政子は院の召しを辞し京を去る。(『吾妻鏡』)
26日 修明門院と共に稲荷に御幸(『百錬抄』)5月 欠
9日 新日吉小五月会に臨幸(『百錬抄』)6月 欠
26日 水無瀬衣より還御(『業資王記』)
7月
29日≪院≫ 中殿和歌御会の作者を決まる
30日≪院≫ 定家、中殿和歌御会に為家を加えるという順徳の意向を聞く。院による推挙
8月
12日≪院≫ 定家へ密々に御製三首を下す
13日≪院≫ 中殿和歌御会
9月 欠
14日 水無瀬より還御(『業資王記』)
16日 延暦寺・石清水間の抗争に院宣を下す(『百錬抄』)
21日 山門抗争に対し議定(『仁和寺日次記』)10月 欠
※10日 順徳皇子・懐成親王(仲恭天皇)産まれる(『百錬抄』)
15日 日吉に御幸(『吾妻鏡』)
23日 熊野に御幸(25度目)(『百錬抄』)11月 ※15日条のみ現存
13日 政子を従二位に叙す(『吾妻鏡』)
21日 懐成親王、親王と成す(『百錬抄』)
26日 懐成親王、立太子 (『百錬抄』『業資王記』)。修明門院と高陽院殿に移御(『仁和寺日次記』)12月 欠
2日 実朝を右大臣に任ず(『公卿補任』)
17日 石清水に御幸(『百錬抄』)
20日 賀茂に御幸(『仁和寺日次記』)
21日 日吉・稲荷・祇園に御幸(『仁和寺日次記』)