インド哲学仏教学

【ゆる解説】『「バガヴァッドギーター」原典訳してみた』補遺

2023年06月10日


『マハーバーラタ』におけるクルクシェートラの戦いを描いた18世紀の写本(A Tribute to Hinduism<2008>より) 

 
 

目次

     ・人名用語解説
     ・超要約「バガヴァッドギーター」
     ・「ギーター」こぼれ話し
     参考文献
     
     ※本編はコチラから!

 
 
 
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 いちばんていねいでいちばん易しいインド哲学 超入門『バガヴァッド・ギーター』

 
 
 

人名用語解説(第1章~第2章11節に限る)

アシュヴァッターマン:ドローナの長男。カウラヴァ軍の勇士。
アナンタヴィジャヤ:ユディシュティラの法螺貝で「限りなく勝利するもの」の意。アナンタは多頭のコブラでヴィシュヌ神の頭上に描かれている。
アビマニユ:アルジュナとスバドラ―の子。パーンダヴァ軍の猛将。
アルジュナ:五王子の三男。
ヴィカルナ:百王子の三男。11人の偉大な勇士の一人。
ヴィラータ:マツヤ国王。かつて五王子を匿ったことがある。マツヤ国はクル国の南西、現在のラージャスターン州の一角にあったとされる。
ウッタマウジャス:パンチャーラ国の戦士でユダーマニュの兄弟。パーンダヴァ軍につく。
ヴリシュニ:クリシュナの祖先の名で、北西インドを支配したヤーダヴァ族のひとつ。
カウラヴァ:ドリタラーシュトラの百王子を中心とする軍勢。
カーシー:クル国の東南、現在のヴァーラナシー。
カルナ:太陽神(スーリヤ神)とクンティーの長男でアルジュナらと異父兄弟だが、身分の低い御者の子として育つ。戦いの直前に出生の秘密を知らされるが、ドゥリヨーダナへの恩義からカウラヴァ軍につく。
ガンディーヴァ:無尽の矢筒と猿の旗印ともにアグニ神より与えられたアルジュナの剛弓。ブラフマー神が作ったもの。
クリシュナ:ヴィシュヌ神の第8化身。ヤドゥ族ヴァスデーヴァの子で五王子の従兄弟。アルジュナの御者としてパーンダヴァ軍につく。
クリパ:アシュヴァッターマンの母方の伯父で、五王子と百王子の弓術の師でバラモン出身の兵法家。カウラヴァ軍につく。
クルクシェートラ:「クル族の土地」の意で、戦いの主戦場。ドリタラーシュトラ・パーンドゥ王の一族が支配した国。クル国は現在のハリヤーナー州にあったとされる。
クンティー:パーンドゥ第一王妃。プリター夫人とも。ヤドゥ族のシューラセーナの娘で、カルナおよびユディシュティラ・ビーマ・アルジュナの母。
クンティボージャ:ヤーダヴァ族の王でヴァスデーヴァの父、クリシュナの祖父、クンティーの養父、プルジットの兄弟。パーンダヴァ軍につく。
ゴーヴィンダ:クリシュナの別名で「牛を護る者」の意。
再生族:種性(ヴァルナ)のうち、バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャをさす。
サウマダッティ:ソーマダッタ王の子ブリーシュラヴァスをさす。カウラヴァ軍につく。
サハデーヴァ:五王子の五男でパーンドゥとマードリー(パーンドゥ第二王妃)の子。ナクラとは双子。
猿の旗印:アルジュナの旗印で、ここでの猿とは神猿ハヌマットのこと。この旗印のついた戦車をアグニ神より与えられた。
三界:天界・地上界・地底界の三つの世界。
サンジャヤ:ドリタラーシュトラの従者である詩人。千里眼によって見聞した戦いの状況を報告する。
サーティヤキ:ヴリシュニ族サティヤカの子。クリシュナの友人。
シカンディン:ドルパタの次男。五王子の義兄。もともとシカンディニーという女性だったが、神の恩恵によって男性化した。
シャイビィ:シビ国王。シビ国はクル国の西、現在のパンジャーブ州にあったとされる。パーンダヴァ軍につく。
ジャナールダナ:クリシュナの別名で「興奮させる者」の意。
種姓(ヴァルナ):インドにおける伝統的階級制度(カースト)。バラモン(祭僧)、クシャトリヤ(王侯・軍人)、ヴァイシャ(庶民)、シュードラ(隷属民)の四つをさす。
スゴーシャ:ナクラの法螺貝で「よい音を出すもの」の意。
スバドラー:ヤーダヴァ族ヴァスデーヴァの娘でクリシュナの妹。アルジュナの妻。アビマニユの母。
先祖供養:団子状の祭餅(ピンダ)と水を供える祖霊祭。
チェーキターナ:ヴリシュニ族の戦士で弓の名手。パーンダヴァ軍につく。
デーヴァダッタ:アルジュナの法螺貝で「神から与えられたもの」の意。
ドゥリヨーダナ:百王子の長男。開戦のきっかけをつくった張本人で、カウラヴァ軍総帥。
ドゥリシュタケートゥ:チェーディ国王シシュパーラの子。パーンダヴァ軍の司令官の一人。
ドラウパディ:ドルパタの長女。最初アルジュナと結婚するが、後に五王子共通の妻となる。
ドリシュタデュムナ:ドルパタの長男で、シカンディン・ドラウパディの兄。五王子の義兄。パーンダヴァ軍の指揮官。
ドリタラーシュトラ:盲目のクル国王。パーンドゥ王の兄で百王子の父、五王子の伯父。
ドルパタ:パンチャーラ国王。ドローナのライバル。パンチャーラ国はクル国の東南、現在のウッタルプラデーシュ州にあったとされる。
ドローナ:アシュヴァッターマンの父で、五王子・百王子・ドリシュタデュムナの弓術の師。カウラヴァ軍の軍師。
ナクラ:五王子の四男で、パーンドゥとマードリーの子。サハデーヴァとは双子。
パウンドラ:ビーマの法螺貝。
バガヴァット:「神」の意。ここではクリシュナをさす。
パーンドゥ:ドリタラーシュトラの弟。五王子の父。
パーンダヴァ:パーンドゥの五王子を中心とする軍勢。
パーンチャジャニャ:クリシュナの法螺貝で「五趣を支配するもの」の意。
ビーシュマ:クル国王シャーンタヌの子で、ドリタラーシュトラとパーンドゥの伯父。王位継承権第一位だったが棄権している。五王子に愛情を注ぎ育てたが、カウラヴァ軍についた英雄。
ビーマ:五王子の次男。ビーマセーナともいう。
プリター:クンティー妃の別名。
プルジット:クンティボージャの兄弟。
マドゥ:ヤドゥ族のひとつでクリシュナの先祖にあたる。またクリシュナによって討伐された魔神の名。
マニュプシュパカ:サハデーヴァの法螺貝で「マニ宝(如意宝珠)の花を持つもの」の意。
ユダーマニュ:パンチャーラ国の戦士でウッタマウジャスの兄弟。パーンダヴァ軍につく。
ユディシュティラ:五王子の長男。パーンダヴァ軍の総帥。
ユユダーナ:サーティヤキの別名。
 
 
 
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 バガヴァッド・ギーターの世界―ヒンドゥー教の救済 (ちくま学芸文庫)

 
 
 

超要約「バガヴァッドギーター」

 『バガヴァッドギーター』は全18章からなることはこれまでもたびたび書いてきたが、『ギータ―』単体の場合、通常前書きとして「Gītā Dhyānam」という詩句が添えられる。主に聖典や神への讃辞、ウパニシャッドとの兼ね合いなどが記されているが原典にはない。また各章には後代タイトルが附されたが、これも原典にはない。
 
 以下、各タイトル「意訳」(シュローカ数)を示すと
1、Arjuna Viṣāda yoga「アルジュナの悲嘆」(46)
2、Sāṃkhya yoga「解脱するための智慧」(72)
3、Karma yoga「行為とは?」(43)
4、Jñāna Karma Saṃnyāsa yoga「知識による行為の放擲」(42)
5、Karma Saṃnyāsa yoga「行為と放擲」(29)
6、Ātma Saṃyama yoga「自制するということ」(47)
7、Jñāna Vijñāna yoga「智慧と悟り」(30)
8、Akṣara Brahma yoga「不滅のブラフマン」(28)
9、Rāja Vidyā Rāja Guhya yoga「至高の知識と至高の神秘」(34)
10、Vibhūti Vistāra yoga「全存在の源」(42)
11、Viśvarūpa Darśana yoga「最高神の示現」(55)
12、Bhakti yoga「信愛とは?」(20)
13、Kṣetra Kṣetrajña Vibhāga yoga「自我と根本原質の違い」(35)
14、Guṇatraya Vibhāga yoga「三つの性質(グナ)」(27)
15、Puruṣottama yoga「絶対者」(20)
16、Daivāsura Sampad Vibhāga yoga「神的なものと悪魔的なものの違い」(24)
17、Śraddhātraya Vibhāga yoga「三つの信仰」(28)
18、Mokṣa Saṃnyāsa yoga「解脱と放擲」(78)
 となる。
 なお第13章"Kṣetra Kṣetrajña Vibhāga yoga"は34シュローカのテキストもある。
 
 
 
 以下で、超要約「バガヴァッドギータ―」を試みたい。例によって文末の( )で各章数を示す。
  
 

メインテーマ
 執着することなく、果報を求めることなく、いま自分がなすべきことに尽力しなさい。
 
 クルクシェートラの戦いにおいて、アルジュナは身内同士で殺し合うことに深く苦悩していた。両軍の間に戦車を止め、その失意を嘆き、武器を捨て戦い争うことを放棄する。(1)
 「私は戦わない」そう言い放ったアルジュナに対し、クリシュナは戦うよう諭す。自分たちを成り立たせるものは中心主体たる「個我(dehin)」であり、この個我が肉体を得ることでさまざまな感情が沸き起こるようになる。だが、個我は永遠で不生不滅のものであり、肉体が滅んでも消滅しない。よって感情などに惑わされず、アルジュナは戦士としての「自己の義務(dharma)」を果たすべきだと説く。一方のアルジュナは「人を殺せば罪を受けるのでは?」という疑問を持つ。それに対しクリシュナは、「平等の境地(samādhi)」たるヨーガ(yoga)に拠って行動(karma)を起こすことを説く。(2)
 また行動した結果にとらわれてはいけないと諭す。それは行動なくして行動を超越できないことを意味している。一切の結果や執着を捨て、ただひたすらに義務に基づく行動を起こせば罪からも逃れられると。さらにすべての行動を最高神たるクリシュナの内へ「放擲(saṃnyasya)」し、真実の自己(ātman)を考察することで願望や執着を離れられるという。(3)
 ここでクリシュナは「個我」を引き合いに、自分もアルジュナも、またすべての人々は過去から永遠に存在しているが、そのことを知っているのは自分のみであると告白する。そして「真実の知識(prajña-buddhi)」を得れば、クリシュナ同様にそのすべてを知ることができるという。これは最高神と同一になることをさしている。「行為のヨーガ(karma-yoga)」と「知識のヨーガ(jñāna-yoga)」を拠り所とし、加えて「信愛のヨーガ(bhakti-yoga)」つまりクリシュナへのひたむきな帰依によりはじめて至ることのできる境地をさしている。(4)
 また「行為のヨーガ」への専心を勧める。すなわち感情や欲望といった「相対的なもの」を離れ、自制して「真実の自己」を見つめよという。そして正しい知性を向け、最高の存在(brahman)を全身で知ることができれば「ヨーガの完成」=平等の境地に達することができる。つまり輪廻の輪から離れ「解脱(mokṣa)」することができるという。(5)
 ここでクリシュナはヨーガの実践者たちの様子を語る。「行為のヨーガ」とは結果や執着を「放擲」することに他ならず、「真実の自己」を制御することである。だがそれは非常に困難であり技術を要する。アルジュナは動揺しているがゆえにその境地を見出せないというが、これに対しクリシュナは意(manas)を定めることを勧める。それは絶対者あるいは最高神への専心、欲求を離れることでなしとげられるという。(6)
 つぎにクリシュナは自身の本性について語りはじめる。クリシュナは万物の根本であり、普遍で至高の存在であることを告白する。人はそれぞれの本性に定められた神に帰依しているが、その信仰を不動のものにしているのもクリシュナに他ならない。だからこそ悪をなす人は無知ゆえにクリシュナに帰依しないという。(7)
 さらに最高の存在たる絶対者ブラフマンの諸相について語る。またブラフマンと同一であるクリシュナ自身を臨終の際に念じる重要性を説く。ブラフマン自体は抽象的な存在のため、念じることは難しい。だが、人間という具現化した形をとるクリシュナに帰依することは容易である。(8)
 そして「最高の秘密」としての「理論知」と「実践知」を説く。「理論知」とはクリシュナの本性についての知識であり、「実践知」とは理論知に基づくクリシュナへの信愛(bhakti)の方法である。加えて、クリシュナの力がいかに創造され保たれるかを解説したうえで、自身に信愛を捧げる者は極悪人であっても救われることを語る。それは、最高神は生きとし生けるものすべての存在に対し平等であるがためだ。(9)
 全ての存在と精神はクリシュナを源とすることが説かれた上で、クリシュナと結びつくことで正しい知識が明確になると諭される。そこでアルジュナは、クリシュナを神聖にして最高神であることを認める。(10)
 そのうえでアルジュナは最高神の姿を見たいと言い出し、その求めに応じてクリシュナは天眼(神の眼)を授け最高神の姿を見せる。アルジュナはそこに宇宙のすべてを、そして世界の隅々までクリシュナによって満たされる様子を見るが、同時に破壊神(kāla)としての恐ろしい姿も目の当たりにする。アルジュナは戦慄しながらクリシュナを讃え、元の姿に戻るよう懇願する。そこでクリシュナは元の姿に戻ると同時に、人とその儚い運命は最高神に掌握されており、信愛によってのみ解消されると諭す。(11)
 クリシュナという具体的な形をとったものを念想(upāsa)する方が容易であり、ヨーガの完成により近いことを解説し、神への帰依を讃えその姿勢を語る。これは「信愛のヨーガ」の解説でもある。(12)
 クリシュナへ帰依する者がとるべき行動様式を説明し、肉体と魂の相違について語る。「知識」の対象こそ最高のブラフマンであり、全体的な意識(prakṛti)と個の意識(puruṣa)はともに無垢であり、かつ相違するものであることが説かれ、瞑想・理論・行為の各ヨーガについて語られる(13)。加えてすべての存在に影響を与える三つの性質(guṇa)について、その特徴が説明される(14)。さらに超自然的な神の特徴を説き、『ギータ―』およびヴェーダ文献全体の要約がなされる。(15)
 そして神的な資質の人と阿修羅的な資質の人の相違について語られたうえで、至高の境地に達するためには欲や感情を離れ、知性と経典を拠り所にし義務を守って生活すべきと諭す。(16)
 信仰・行動・考え方、それぞれに対し三種の違いを説明し(17)、善行を行い執着を離れ平等の境地に達する「真実の知識」の獲得の大切さを説き、クリシュナは自身への信愛を求める。アルジュナはそのことを理解し、すべての疑念や不安を捨て去り戦いに臨む勇気を再び湧き上がらせる。一連の対話の様子を語ったサンジャヤは、感動しながらその一部始終をドリタラーシュトラ王に告げる(18)。

 
 
 
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 幸せを呼ぶインドの神様事典 ~シヴァ、ガネーシャ…日本にもなじみのある神々~

 
 
 

「ギータ―」こぼれ話し

 
 『ギータ―』というか『マハーバーラタ』全体を通し、今回読み進めた第1章~第2章11節に関連するエピソードのいくつかを紹介してみたいと思う。
 
・神の剛弓ガンディーヴァ
 この弓はもともとブラフマー神によってつくられたもので、シヴァ神やインドラ神の手を経て酒の神・ソーマに与えられた。ソーマ神はヴァルナ神に、ヴァルナ神はアグニ神に与えた。
 アグニ神がカーンダヴァの森を燃やそうとしていた時、インドラ神をはじめとした諸神が雨を降らせて妨害してきた。そこでアグニ神は、アルジュナとクリシュナにその雨から森を守るように求めた。だがアルジュナは諸神に対抗するに有効な、あるいは自身の力量に見合う武器を所持していなかったため、アグニ神はガンディーヴァと矢の尽きることのない矢筒、四頭の白馬が牽く猿の旗印の戦車を与えた。武器を得たアルジュナはつぎつぎと諸神を退却させ、その武勇を認めたインドラ神は「シヴァ神を満足させることができたとき、天界の武器を与える」ことを約束した(以上、第1巻Ādiparvanより)。
 五王子が森へ追放となっていた間、アルジュナは天界へ武者修行に出る。そこで山岳民に扮したシヴァ神と一戦を交え敗北したが、その勇猛さに満足したシヴァ神から愛用の武器・パーシュパタ(詳細は不明)を、その他の神々からも武器を与えられた。更にインドラ神がアルジュナを天界へといざない、そこであらゆる武器の使い方を学んだ(以上、第3巻Vanaparvan)。
 このように、ガンディーヴァはその出自や経歴からアルジュナ以外の人間では扱えないものとされた。
 クルクシェートラの戦いにおいても、アルジュナはガンディーヴァを手に奮闘した。最初「戦いたくない」とガンディーヴァを手放したが、クリシュナの激励により意を決した(第6巻Bhīṣmaparvan内『バガヴァッドギーター』より)。戦いの終盤、カルナがカウラヴァ軍の総司令となると、パーンダヴァ軍は苦戦を強いられユディシュティラも瀕死の重傷を負ってしまう。兄を心配したアルジュナは一時戦場を離れたが、そんなアルジュナをユディシュティラは叱責し「ガンディーヴァはお前に相応しくない」と非難した。アルジュナはガンディーヴァを侮辱した者を殺すと固く心に誓っていたため剣を抜くが、クリシュナに諫められ思いとどまった。ユディシュティラとアルジュナのいさかいはお互いを精神的に追い詰めたが、クリシュナの仲裁によって仲直りし、誓いを新たにアルジュナはカルナに挑んだ。激闘の末、アルジュナはカルナを首を刎ねた(以上、第8巻Karṇaparvanより)。
 戦後36年たったころ、百王子の母ガーンダーリーの呪いによってクリシュナの出自であるヤータヴァ族が滅ぼされ、クリシュナもまた踝に矢を受け天界へと旅立った。後を託されたアルジュナは、残された人々を護衛し自らの国に帰ろうとしたが途中で襲撃されてしまう。その際ガンディーヴァを引くことができず、自らの老衰を悟りガンディーヴァを使わず奮闘するが、結局多くの犠牲者を出すこととなった(以上、第16巻Mausalaparvanより)。アルジュナ以外の五王子も次第に地上での自らの役目が終わったことを悟り、アルジュナの孫・パリクシットに王位を譲り神々の世界を目指しヒマラヤを登った。その道中、アグニ神が姿を現し「もはやガンディーヴァは必要ないだろう。私がヴァルナ神へ返す」と告げ、アルジュナに返却を求めた。アルジュナがガンディーヴァを矢筒とともに赤い水の海へと投じると、アグニ神はたちまちに姿を消した(以上、第17巻Mahāprasthanikaparvanより)。
 
 
 
・パーンダヴァの五王子とカルナ
 アルジュナの宿敵にしてカウラヴァ軍の英雄カルナは、五王子の母クンティーの子である。
 パーンドゥ王との婚前、クンティーは聖仙より授かったマントラにより太陽神スーリヤの子を身ごもり産んだ。だが未婚の出産だったため事態の発覚を恐れたクンティーは、その子カルナを生まれてすぐに箱に入れ川へと流した。その箱はドリタラーシュトラ王の友人である御者に拾われ、カルナはその養家で育てられることとなる。百王子の長男ドゥリヨーダナに仕え、百王子・五王子とともにドローナから武術の指導を受けた(以上、第1巻Ādiparvanより)。
 クルクシェートラの戦い開戦前夜、何度も講和を重ねた甲斐なく戦争を避けられない状態になったとき、クリシュナとクンティーはカルナにパーンダヴァの長兄であることを告げ味方になるよう説得した。しかしカルナは、義父母やドゥリヨーダナへの恩義からそれを拒否した。またクンティーからの説得には、出生以降の恨みを込めつつも今更寝返ることもできないとしたが、好敵手であるアルジュナだけを相手にすることを誓った。それを聞いたクンティーは悲嘆したものの、最後にはカルナを抱きしめこれを受け入れた(以上、第5巻Udyogaparvan)。
 戦後、五王子はカルナが兄弟であることをクンティーから知らされる。特にユディシュティラははげしく嘆き悲しみ、弟に兄を殺させてしまったことを深く後悔した。だが最終的にはその事実を受け入れ、すべての戦死者と共に盛大な供養を執り行い、その死を悼んだ(以上、第11巻Strīparvan・第12巻Śāntiparvanより)。
 
 
 
・五王子と二人の妃
 パンチャーラ国王・ドルパタの娘であるドラウパディーは絶世の美女として有名だった。
 ドルパタ王は娘をアルジュナと結婚させようと考え、伝統的な婿選びの祭典を催しアルジュナにしか引けない強弓を用意して「この弓を引いて的を射抜いたものとドラウパディーを結婚させよう」と告げた。その当時、五王子はドゥリヨーダナの計略から逃亡している最中だったが、バラモンに扮してこの催しに参加した。そして案の定アルジュナは見事に的を射抜いてドラウパディーを妻とすることに決まったが、他の参加者たちからはバラモンと結婚することに不満の声があがり騒ぎとなった。その騒ぎをかいくぐって五王子は辛くもドラウパディ―を隠遁先に連れ帰ることに成功し、母・クンティーに「もらってきた」とだけ伝えた。だがクンティーは、五人がいつも通り布施をいただいたものと勘違いし「みんなで平等に分けなさい」と告げた。結果、前世の因果もあってドラウパディ―は五王子共通の妻となる。
 結婚後まもなく、天界の聖人ナーラダ仙が五王子を訪れ結婚生活における決まり事を設けるよう勧めたので、五王子は「兄弟のうち誰か一人がドラウパディ―と一緒にいるのを妨げてはならない」と定め、それを破った場合は12年間森で生活しなければならないこととした。だが後日、アルジュナは不可抗力的な理由からこの決まりを破ってしまい、自ら望んで12年間の放浪生活へと入った。
 その間、アルジュナは従兄弟にして大親友のクリシュナの妹スバドラーを見初めた。クリシュナの父ヴァスデーヴァ王が二人の結婚に難色を示したこともあって、アルジュナがクリシュナに相談すると「力づくで奪い去るとよい」と助言を受けた。そこでアルジュナは、散歩中だったスバドラーを連れ去りそのまま駆け落ちした。
 帰還後、アルジュナがスバドラーを妻にしたことをドラウパディーは非難した。だがスバドラーがドラウパディーの侍従になることで和解し、後アルジュナとの間にアビマニユをもうけた(以上、第1巻Ādiparvanより)。
 
 
 
・長老ビーシュマ
 カウラヴァの百王子、パーンダヴァの五王子双方にとって大叔父にあたるビーシュマは、クルクシェートラの戦い以前より両者の対立を危惧し、その仲裁に入っていたが結局止めることができなかった。その主たる原因は、百王子の長男ドゥリヨーダナがビーシュマからの再三の忠告を聞き入れず、パーンダヴァへの憎悪を捨てなかったことにある。
 ビーシュマは、一族の長老として不本意ながらもカウラヴァ軍についたが、戦場においては総司令として全力を尽くした。特にアルジュナとは幾度となく衝突し激しい攻防を繰り広げた。ただ、ビーシュマ自身はパーンダヴァを殺さないことを誓っていたので、ドゥリヨーダナからは顰蹙を買っていた。その実、ビーシュマがいることでカウラヴァ軍の守備体勢は大変強固なものとなっていた。
 攻防近接するなか手詰まり感を覚えたパーンダヴァは、クリシュナの助言をもとにビーシュマに打開策を求めた。ビーシュマは、敵ながら身内にして、更にその誠実さを大いに評価していたパーンダヴァに対し、自分が最大の障壁となっていること、そしてビーシュマ自身を打倒する方法を伝授した。それは「両性具有の者が目の前に現れれば私は武器を捨てる」というものだった。
 10日目、パーンダヴァはシカンディンを先頭に攻撃をしかけると、ビーシュマは約束通り武器を捨てた。そしてアルジュナをはじめとしてパーンダヴァが放った無数の矢を受け戦車から落ち、身体中にささった矢に支えられる形で横たわった。一族全体の栄誉を一身に担う長老、そして師にして英雄の瀕死の姿を前に、カウラヴァ・パーンダヴァ両軍は一時休戦しビーシュマの周りに集った。ビーシュマは静かに自らの死を待ちながら、ドゥリヨーダナに対し「この戦いは私の死で終わらせよ。パーンダヴァと和解せよ」と警告した。だが、結局それも聞き入れられることはなかった。そしてビーシュマは戦うことをやめ、横たわりながら一族が互いに殺し合い崩壊していく様を目撃することとなった(以上、第6巻Bhīṣmaparvanより)。
 戦後、王位についたユディシュティラに対し、瀕死のビーシュマは王としての義務と正義、宗教思想や教訓などさまざまな哲学的教えを説き、『ヴィシュヌ・サハスラナーマ(ヴィシュヌを讃える1000の名前)』を伝授した。そして戦争から58日後、自らの意思で死をむかえ天界に昇った(以上、第12巻Śāntiparvan・第13巻Anuśāsanaparvanより)。「自らの意思で」というのは、若き日のビーシュマが聖戒を立てたとき、神々からの祝福によって自らの死に時を決めることができるようになった逸話に由来する(以上、第1巻Ādiparvanより)。
 なおユディシュティラがビーシュマから教えを乞う第12巻「Śāntiparvan」は、『マハーバーラタ』中で最長の巻となっている。
 
 
 
・百王子の誕生秘話とその死
 ガンダーラ国のスバラ王の娘ガーンダーリーは、熱心なシヴァ神の信者だった。彼女の信心に満足したシヴァ神は、100人の子宝に恵まれることを約束した。その噂を聞きつけたクル族の古老ビーシュマから、ガーンダーリーをドリタラーシュトラ王の妻に迎えたいという申し出を受け、二人は結婚することになった。
 その後、ガーンダーリーがドリタラーシュトラの父ヴィヤーサ仙を助けた際、礼として「100人の子どもが生まれるだろう」という祝福を与えられたところすぐに懐妊した。だが子どもはいつまで経っても生まれてくる気配がなく、そのことを悲観したガーンダーリーが自分の腹を強く打ったところ、大きな肉塊が出てきた。するとそこへヴィヤーサ仙が姿を現し、その肉塊を100個に切り分けはじめた。ガーンダーリーは女の子も1人欲しいと望んだため、肉塊は101個に切り分けられ101個の壺に一つひとつ納められた。そしてしばらくすると壺からは101人の子どもが生まれ出てきた(以上、第1巻Ādiparvanより)。
 クルクシェートラの戦いにおいて、百王子率いるカウラヴァ軍と五王子率いるパーンダヴァ軍は共に、ほぼ全滅状態にあった。カウラヴァ軍で最後まで生き抜いたのは、アシュヴァッターマン、クリパ、そしてヴリシュニ族の王クリタヴァルマンの三人、パーンダヴァ軍で生き残ったのは五王子とクリシュナ、サーティヤキだけだった。最終日である18日目には百王子の長男ドゥリヨーダナも瀕死の傷を負い、生死の境を彷徨っていた。その日の夜、アシュヴァッターマンはをパーンダヴァ軍を夜襲し五王子の子孫を絶った。その夜襲成功の報告を受けたドゥリヨーダナは、満足しながら息を引き取った(以上、第9巻Śalyaparvan・第10巻Sauptikaparvanより)。
 
 
 
・ヴィラータ王のもとでの暮らし
 賭博に敗れ森へ追放となった五王子は、12年間の隠遁生活を経て13年目に「人から知られないように暮らさなければ」ならなかった。そこでマツヤ国に赴きヴィラータ王のもとで暮らし始めたが、五王子と妻・ドラウパディ―は身分を隠して召使として仕えた。
 ・長男ユディシュティラ→著名な賭博師として王の相談役
 ・次男ビーマ→料理人
 ・三男アルジュナ→「ブリハンナラー」という偽名の宦官として王女ウッタラーの舞踏教師
 ・四男ナクラ→調馬師
 ・五男サハデーヴァ→家畜監督者
 ・妻ドラウパディー→侍女
 とそれぞれ仕事に従事した。
 そして一年が過ぎ、ついに追放の期間が終わった五王子たちはその正体を明かした。するとヴィラータ王は大いに喜んで王女ウッタラーをアルジュナの妻にと申し込んだが、アルジュナは息子アビマニユとウッタラーを結婚させた(以上、第4巻Virāṭaparvanより)。
 
 
 
・ドルパタ王とドローナ
 ドルパタとドローナは、かつて共に武術を学んだ親友だった。
 だがドルパタが王位に就いて後、貧困に苦しんでいたドローナがドルパタのもとの訪れた際、ドルパタは侮辱をくわえた上で追い返してしまった。このことに恨みを抱いたドローナは、後年、弟子である百王子たちを鍛え上げ、ドルパタの支配するパンチャーラ国に攻め込ませてその半分を奪うことに成功した。一方のドルパタはこの報復として「ドローナを倒せる子ども」が生まれるように犠牲祭を執り行い、結果ドリシュタデュナムとドラウパディーが生まれた(以上、第1巻Ādiparvanより)。
 
 
 
・ドリタラーシュトラ王のその後
 サンジャヤの語るクルクシェートラの戦いの惨劇を聞き終えたドリタラーシュトラは、深い悲嘆と自責の念から自ら命を断とうとする。だがそれをヴィヤーサ仙と異母兄弟ヴィドゥラに慰められ思いとどまる。残された女性たちも悲しみにくれ、特に百王子の母ガーンダーリーは「ヤータヴァ族は滅びるだろう」とクリシュナを呪った。戦いに散った数多の戦士たちは丁重に葬られ供養された(以上、第11巻Strīparvanより)。
 その後も五王子たちは、実父パーンドゥ亡きあとの育ての親であるドリタラーシュトラを尊敬し、自らの宮殿に招き入れ、共に平穏に暮らしていた。しかし、ドリタラーシュトラはじめガーンダーリーそしてクンティーの心は晴れることがなかった。やがて五王子の次男ビーマとも確執が生じるようになり、戦いから15年後、ドリタラーシュトラはガーンダーリーとクンティーと共に森へと隠退した。
 森で修行に明け暮れる中、ヴィヤーサ仙に頼んで戦いで死んだ人々の霊を呼び出した。ガンジス河の畔に立ち現れた懐かしい人々の姿を、盲目のドリタラーシュトラもはっきりと見ることができた。だがその2日後、隠遁する森に火事があり、三人はそこで焼死した(以上、第15巻Āśramaparvanより)。
 『マハーバーラタ』の物語中、最後に残されたユディシュティラは、インドラ神のいざないによって天界へ入った。そこでドリタラーシュトラとガーンダーリー、クンティーの魂が、富と財宝を司るクベーラ神の世界に入ったことを伝え聞き安堵する(以上、第18巻Svargārohaṇaparvanより)。
 
 
 
・アヌギーター
 「ギーター」の出自たる『マハーバーラタ』には数々の挿話や哲学的詩篇が組み込まれているが、その中でも重要視されているものが「四代哲学書」の異名をもって知られている。その中の一つが「アヌ・ギーター」だ。
 クルクシェートラの戦い後、心身をいやすためにアルジュナとクリシュナは国内を見聞して回っていたが、ある時クリシュナは祖国の首都ドヴァーラカーへ帰国する旨を切り出した。そこでアルジュナは、かつて説かれた「バガヴァッドギーター」の内容を忘れたと言い、クリシュナに再度説くよう懇願する。クリシュナは再び一連の教えをアルジュナに対し説き教えた(以上、第14巻Aśvamedhaparvanより)。
 「アヌ・ギーター(anu gītā)」とは「ギーターに続くもの」という意味で、「ギーター」の付録的性格が強い。だが、「ギーター」にみられるような抽象的な哲学論ではなく、その倫理的前提の一部を寓話や伝承を通して再話している。また「マハーバーラタ」の作者ヴィヤーサの弟子ヴァイシャンパーヤナによる要約も含まれている。
 
 
  
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 マハーバーラタ入門―インド神話の世界

 
 
 

参考文献

 ※「『バガヴァッドギータ―』原典訳してみた!~前説~」掲載の参考文献

 ・上村勝彦訳『原典訳 マハーバーラタ』全8巻,ちくま学芸文庫,2002-2005
  ※訳者急逝のため、プーナ批判版第8巻49章までの訳となっている。
 ・山際素男訳『マハーバーラタ』三一書房,1991-1998
  ※現在唯一の日本語完訳だが、M.N.Dutt英訳版からの重訳である。
 ・B.Debroy, The Mahabharata (10vols) ,London:Penguin Books ,2015.<底本:プーナ批判版>
 ・M.N.Dutt, Mahabharata : Translated into English from Original Sanskrit Text (7vols) ,Delhi :Parimal publications ,1997.<底本:カルカッタ版>
 ・K.M.Ganguli, The Mahabharata of Krishna-Dwaipayana Vyasa(12vols) ,Delhi ,Munshiram Manoharlal Publishers Pvt Ltd ,1991.<底本:ベンガル版およびボンベイ版>
 ・F.Max Muller, The Bhagavadgita with the Sanatsujatiya and the Anugita (Reprint) ,London :Routledge , 2014.
 
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