レポート

【浪人時代の思い出】アリミツ君とマコちゃんのこと。

 受験シーズンも終わりに近づき、高校・大学はじめ、いろんなところで合格発表の知らせを耳にする季節となった。
 毎年この時期になると、必ず浪人していた頃のことを思い出す。

 私は某大手予備校で一年間浪人生活を送り、その間は予備校付属の寮で生活していた。
 花の都・TOKYOに出てきたはずが、そこはなぜか木々の緑豊かで動物の鳴き声響くところだった。
 
 人生初の満員電車。
 都心ド真ん中にある予備校校舎へ通う日々。
 起きてる時は(当然)勉強漬けだったが、ときどき破目を外して寮の仲間たちと長時間語り合っていた休日。……

 どれも今となっては良い思い出だけど、それ以上に私はこの一年間でとてもかけがえのないものを得ている。
 それは当時、寮や校舎で切磋琢磨した仲間たちだ。
 私は彼ら彼女らのことを今でも「戦友」と呼んでいる。
 予備校以来顔も合わせていない人も多いが、SNSや年賀状などで今でもつながりを持っている人も少なくない。
 
 その中でも特に、タイトルに挙げた"アリミツ君"と"マコちゃん"は、同じ寮に暮らし同じ釜の飯を食った戦友の中でも殊のほか印象深く、かつ強烈な影響を受けた二人だ(正確にはもう一人いるが)。
 今回はそんな彼らとの思い出話しをしたい。
 
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 予備校に行っている人は読まないでください

 

【アリミツ君のこと】

 アリミツ君は、寮内に複数個あった棟の中でも比較的近い棟の住人同士(棟といってもそれぞれ独立しているわけではなく、全てつながっていた)。
 で彼、実はときどき本家の方でブログや動画を紹介している公認会計士・税理士 アリミツブログの中の人だ。最近あんまり更新されていないが、Youtubeでも公認会計士アリミツチャンネルを持っている。

 最初の出会いは確か夕食時の食堂だった。
 次第に顔見知りになっていった寮生らで集まり、よくテーブルを囲んでいた。寮の食事は朝夕の二回出る。
 GW前にはすでに満員電車に辟易していた私は、毎朝始発電車で都心へと向かっていたので、こうした輪に加わるのはもっぱら夕食時だった。
 テーブルで向かいあった折などに自然と話しをするようになっていったので、初めて会ったのがいつ頃だったのか正確な記憶はない。

 彼の第一印象は「賢そうな人だな~」というものだった。ブログや動画で見る近年の表情とあまり印象が変わらない。
 その中でも特に、目は印象的だった。とても澄み渡っている、キレイな目をしていた。
 あと、個人的な記憶としてはいつも褞袍(どてら、あるいは丹前)を羽織っていたことだろうか? それがまた憎いくらい似合っていた。

 アリミツ君と私は不思議なもので、まずもってお互いのプライベートを(多分)ほとんど知らない。
 それに、予備校以来、実は一度しか会う機会を持てていないのだが、なにかにつけてとてもご縁がある。ちなみにその一回というのは、私が元カミさんと東京で行った披露宴だ。
 もっとぶっちゃけたことを言ってしまうと、今はSNSと毎年の年賀状でのつながりしか直接的なものはない。

 でもその当時、非常に影響を受けた人物であり、かつその影響は未だに自分の糧になっている。

 特に下記に挙げる思い出は筆舌に尽くし難い。

 ある日、食堂近くの廊下を通りかかった際、メガネをかけ、猫背でヌラ~っと歩くアリミツ君とすれ違った。
 その姿は、さながら『風の谷のナウ○カ』OPの巨神兵のようだった。
 あまりの姿に「どうしたの!?」と聞くと、「ああ、いや、寝てなくてさ……」と言うのである。
 曰く、連休であることをいいことに、ここぞとばかり、風呂にも入らず不眠不休で勉強しているという。その時点で3日目が終わろうとしていたらしい。
 「でもそういう勉強の仕方って、かえって効率悪くない?」と思わず聞いてしまったが、「確かにそう思うけど、でもやっぱりそのくらい頑張ってみるのも悪くないかなって」という答えが返ってきた。
 それは、当時の私にあまりにも本質的なところを再認識させてくれる一言だった。
 学校に通えること、そして学べること、そうすることが出来るのは自分一人の力ではない。いろんな人の協力のもと、ましてや"浪人"という猶予をもらえている。一生懸命勉強するより他にないのだ。至極真っ当なことだけど、やはりどこかで気が緩んでいたのかもしれない。
 「今の君たちは酸素を二酸化炭素に変えているだけの存在」と予備校教師に散々揶揄されていた当時、自分としても少し卑屈になっていた部分もあったかもしれない。
 そういう意味で、アリミツ君の一言は青天の霹靂にも等しいものだった。

 「よし、僕もやってみよう!」
 苦行スイッチONというか、自分をストイックに追い込むのが好きな性根発揮というか、アリミツ君の言動に感銘を受けた私は、次の連休時に真似してみることにした。
 
 私の第一志望では、当時二次試験時に世界史・日本史・地理の中から二科目選択することになっていた。しかし高校時に履修できたのは日本史のみで、世界史はほぼ独学状態だったので、浪人時代はここが結構な重荷だったりした。そういうこともあって、アリミツ方式勉強法実践時はもっぱら世界史に集中した。
 とにかく教科書にある流れを思い出し、かつそこでポイントとなる単語・年号をひたすらノートに書き起こした。

 ちなみに当時のノートがこれだ
  ↓↓↓↓
 
 無○良品のオリジナルノートまるまる一冊書き尽くした!
 
 そうして3日目の午前11時を過ぎたころだった……

 「こういうやり方、やっぱり僕には合わない!」

 そしてそのまま翌朝まで爆睡www

 後日アリミツ君に事の顛末を話すと、「まあ、バカだよねぇ~」という言葉と屈託ない笑顔が返ってきた。
 しかしそれが真実だと思う。

 彼の行動、そしてそれを真似た自分の経験からして言えることは、

 一日真剣に頑張れた人間は三日頑張れる。
 三日真面目に頑張れた人間は一週間頑張れる。
 一週間本気で頑張れた人間は一ヶ月頑張れる。
 一ヶ月死に物狂いで頑張れた人間は、一生頑張ることが出来る。

 このことに尽きるだろう。
 そう、バカである。バカなくらい懸命だった。

 大学進学後から今日に至るまで、正直私自身腐ってしまうことは山ほどあった。
 しかし、それでもなんとかやってこられたのは、ひとえに彼がそれを体現し、その姿を見せてくれたからに他ならない。

 いつだったか、メールで「浪人中、君には本当に世話になった」というメッセージをもらったが、滅相もない! 世話になったのは私の方ですw 教えを受けたのは私メの方です!
 彼から得たものは、今でもかけがえのないものとなっている。
 感謝してもし切れない。

 余談だが、私もYoutube的なものもいろいろ考えているので、そのうちコラボとかできたらいいな~と思う今日この頃。
 
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 予備校なんてぶっ潰そうぜ。

 

【マコちゃんのこと】

 マコちゃんとは入寮した翌日、寮生活についての説明会があった際、すぐ隣の席になったことで知り合った(ちなみにその数日後、マコちゃんの高校の同級生であるU君とも知り合った)。
 坊主頭で童顔、部活はずっと体育会系だったというので高身長。飄々としていて掴みどころがない、そんな第一印象だった。

 彼は現役時から京都大学医学部を第一志望にしていた。
 もちろんバツグンに勉強ができて、模試の成績は全国一桁常連。
 私は内心「本当にこういう人っていたんだ~」と、物珍しそうにその成績表を眺めるばかりだった。
 特にその優秀ぶりをうかがわせるエピソードとして、センター試験の前日に私の部屋へひょっこり顔を出したマコちゃんは、おもむろに「使ってない世界史の参考書か資料集か、ある?」と聞いてきた。曰く「今年一年、世界史の勉強するの忘れててさ~w」とのこと。そりゃあマズいと一冊貸したのだが、センター試験後の自己採点では安定の満点。恐るべし……。

 でもまあなんだかんだウマが合って、今でも交流がつづいている。
 特にU君も含めてはいろいろやらかした。
 夜中に寮を抜け出して、近くにあった某飲食チェーン店でご飯を食べたりした。(←勉強しろよ!)
 それまではほぼ24時間営業に近かったそのお店だが、我々がそんなことをするようになってからは深夜0時までの営業に切り替わってしまった。(←あの時トランプで遊んでたバイトのお兄さんたち、ゴメンナサイ汗)
 いわゆる土用の丑の日に3人で鰻を食べに行ったことをきっかけに、それ以降数年来、毎年7月下旬に"鰻の会"と称して同じ店に食べに行くようになった。(←だから勉強しろよ!)
 更にもう一人加えて、全員人生初のもんじゃを食べに行こうということになって出かけるも、作り方が分からず店員さんに小言を言われたりした。(←勉強しろって!)
 日曜早朝、緑深い寮周辺を探検よろしく散策したり、いや~思い出してもキリがない!(←頼むから勉強してくれ……orz)

 でもまあちゃんとやることはやっていたわけで、マコちゃんは夏休み中、"模試を受ける旅"と称し、全国津々浦々の校舎で行われる様々な模試を受けに行く旅という、イマイチよく分からない旅路についてたりした。
 また彼は理系なのに数学が苦手だったので、文系なのに理数系が大好きな私が教えたこともあった。

 ……そうこうしているうちに、U君がAO入試で第一志望合格を決めた。
 実はU君、高校時代、とある部活の大会で全国優勝したという実績を持っている。
 なら現役時に使えよって話しなのだが、本人曰く「やっぱり当時はちゃんと試験受けたかったんだよね~」と。まあ、それが生き様というものなのだろう。

 U君が退寮していったあと、マコちゃんは夜な夜な私の部屋に来るようになった。
 寮則では20時以降に他人の部屋を訪れてはいけないことになっていたが、彼が来るのはいつも22時だった。
 聞けば、以前はU君の部屋へ夜な夜なコーヒーを飲みに行っていたらしく、それが私に変わったのだという。
 ほぼ毎晩のように来ていた。
 今も昔も変わらず、私の部屋は常に書物で溢れかえっている。それが珍しかったのか、夜な夜な来るたびに「これはどんな本なの?」「この本面白いね~」などと興味深そうに眺めていた。そしてそれをきっかけに、深く議論し語り合うのが日課となった。……
 
 
 
 彼は現役時から京大医学部合格は当然と言われていたようだ。
 しかし、一浪時も不合格だった。
 そして二浪時も……。
 
 
 
 3年目の夏、突然「赤本とか模試の過去問とかって、まだ手元にあったりする?」というメールが来た。
 私は浪人後に合格するも第一志望を蹴っている。しかし戦歴よろしくそこら辺のモノは捨てずに持っていた。
 その旨を伝えると、「じゃあ」とばかり、当時私の住んでいたアパートにマコちゃんはひょっこり顔を出した。
 「相変わらずの本の量だね~」などと言いつつ、私お手製のチャーイ(インドのミルクティ)を飲みながら本棚を眺めていた姿が印象的だった。

 その半年後のこと、再びマコちゃんからメールがあり、一言、「東京大学理科三類、合格しました~」と書かれてあった。
 「はあ!?」と思いつつ、マコちゃんではなく例のU君にメールをしてみるとお互い同じ反応だった。でも、「わけわかんないねw」とツッコみながら、マコちゃんの合格を心の底から喜んだ。

 マコちゃんは今、医師となっている。
 数年前、私が上京した折に久々夕食を共にしたが、その時は、夜勤をこなしながら大学院に戻り研究をつづけていた。
 正直、頭の下がる思いだ。
 そして昨年来のコロナ禍。彼は最前線で戦い続けている。
 
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 いざ、医学部! 日本一おせっかいな講師がいる医学部受験予備校の話

 

【わたしの場合というか、まとめ】

 入寮当時、会う人会う人、いろんな地方から来ている人ばかりだった。当時は上京したてで、北海道のことしか知らなかった私としてはそれが一番珍しかった。
 そして結構な頻度でいわゆる進学校・有名校、そして模試の総合成績表で名前を見た人、それに出くわした。
 やはり内心、
 「そういう学校って本当に存在したんだ~」
 「そもそもそこに通ってる人も存在したんだ~」
 「なにより、あそこに名前が載ってた人もいたんだ~」
 と、まるで奇怪な動物を眺めるように目を丸くしていた。

 彼らの多くとは予備校以来会う機会がない。
 しかし今でもSNSなどを通じてつながりがある。便利な世の中になったものだ。

 みんなどうしているのか?
 官僚をやっていた人もいる。医者・弁護士はもちろん、起業した人もいる。助教になっているのもいれば、海外で教鞭をとっていたり、就職後に大学院に戻って勉強している人もいる。アートの世界で活動している人もいる。
 いろんな分野で活躍・貢献している姿を見るにつけても、私は本当に「人に恵まれた」と思わざるを得ない。
 そして、同期が成長していく姿を見るのが、とてもうれしい。

 私自身は普段、北海道の山の中で農家をしているが、スマホの画面越しにみる彼らの姿を見るにつけて、「上等だよ!」と負けず劣らず学ぶことに執念を燃やしている。

 浪人時代の仲間を私は"戦友"と呼んでいるといったが、その戦いは今も続いている。
 一体なにと戦っているのか?
 多分それは、自分自身だ。
 
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 夢を叶えるための勉強法

 

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