【佐渡の秘境!!】順徳院崩御の地・堂所御所跡へ【佐渡の入江の順徳院 後編】

 Field work on JUNTOKU Tenno[22,Oct,1197~7,Oct,1242(10,Sep,Kenkyu8~12,Sep,Ninji3):84nd emperor(reigning:1210~1221)and Retired Emperor].
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 前編はこちら
  ↓↓↓↓
 佐渡の入江の順徳院 前編~後鳥羽院をめぐるフィールドワークその2~
 
 
 
 パパ・後鳥羽院譲りの文武両道の逸材
 
 
 

目次

     前説
     堂所御所跡へ
     参考文献

 
 
 
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完全図解でよくわかる 承久の乱

歴史REAL承久の乱

 
 
 

前説

 さて、前編の最後で今回への佐渡の旅のクライマックスとして順徳院終焉の地と伝わる『堂所御所跡』へ向かった旨を書きましたが、その旅程を紹介する前にそこへ赴くに至った経緯と多少の解説をしたいと思います。
 そして前回書き忘れましたが、このレポートは共同研究者の通称・ママに提出した紀行文をざっくばらんに書き下したものです(紀行文自体はタイヘン真面目に書いたぞ~!)。
 
 
 
 まず、佐渡行に出る数か月前、どんな史跡を回ろうかと資料を読みつつ思案していた折、とある本の記載に
 

「阿弥陀堂跡 真野町大字真野にある。順徳天皇の御在所であり、崩御のところでもある。(中略)堂所御所跡 真野町大字真野字堂所にあり、堂が平ともいう。真野宮から林道を登ること約四キロの山中にあり、もと真輪寺奥ノ院の阿弥陀堂があったところといわれ、『順徳天皇行宮遺跡』の碑が建っている」

 とあるのを目にした。
 
 
 
 順徳院崩御の地。
 
 
 
 順徳院崩御に関しては、以前目を通した史料で衝撃を受けたものがある。
 それは鎌倉時代前期の公家・平経高の日記『平戸記』仁治3(1242)年10月10日条の一部。
 
 赤線部分をざっくばらんに現代語訳すると
 

「……ただ(順徳院は)食事をとることが全くなかった。というのも、院にはかねてから9月9日に亡くなりたいという”祈請”があったからで、周りに従する者たちさえそのことを全く知らなかった。しかしその願いも叶わず(9月)12日に亡くなった。
 院がそのように食事をとらなくなったのは、還京の望みも絶たれ生きていても仕方ないという思いからだったという。
 焼石を蚊帳の上(頭上)に置き、次第に体力も衰え、出家していた従者たちとともに声高に念仏を唱えながら、眠るように亡くなったという。」

 14歳で即位し、25歳で子息の懐成親王(仲恭天皇)に譲位した直後、父・後鳥羽院とともに承久の乱を引き起こした。佐渡配流後、在島22年の間に父・後鳥羽院、兄・土御門院をそれぞれの配流先で失い、自身もまた佐渡にて46年の生涯を閉じた。図らずも、保元の乱の後に配流先の讃岐で薨じた曽祖伯叔・崇徳院と同じ歳。
 まだまだ血気盛んな年齢であっただけに、還京の願いが潰えたことを知った時の心境はいかばかりだったのだろう。その死に様はもはや“憤死”そのもののように読み取れてならない。

 前編でも記した通り、真野が順徳院の御在所そして崩御の地であるということには、それを確証付ける決定的な史料が残されていないため疑問の余地がある。
 しかし、仮にそれが伝承・伝説の域を出ないにしても、私は俄然この『堂所御所跡』を訪れたいという衝動にかられた。
 
 
 
 昨今は本当に便利になったもので、さっそくネットで『堂所御所』を検索してみると、果たせるかな数件のヒットがあった。
 
 その中で実際に訪れたという方のブログを拝見して、正直愕然とした。
 
 
 
 「本当に山の中だw」
 
 
 
 一応参考までにそのブログを以下に挙げておきます。
  ・順徳上皇最後の地といわれている「堂所御所跡」に行ってきた。 (旅館番頭の佐渡観光情報ブログ)
  ・【佐渡スポット】堂所御所址(順徳上皇行宮遺跡) (ウェブの端っこで・・・)

 
 
 で、その山中というお話しだが、上記ブログにも掲載されているがこちらでも改めてその場所を確認したい。

 

 拡大してみると……
 
 ここだけ人工的に手が加えられているような感じがする。
 ちなみに目印となる画像左下の水利は砂防ダム。

 念のため国土地理院の地図を見てみると……
 
 完全に山。そして史跡をしめす地図記号さえ載っていない。
 実際私も佐渡に関する郷土資料などで『堂所御所』の記載のある地図を見たことは数えるほどしかない。しかもほとんどがウン十年も前に刊行されているものだ(eg,『概観佐渡』<概観佐渡刊行委員会,1964>付録地図)。

 また、佐渡市の観光協会HPにさえ記載がない。
  ・さど観光ナビ - 佐渡市公式観光情報サイト

 なるほど、観光客など訪れようはずもないということなのだろうか? ならばますます行ってみたくなるではないかw (← 人一倍好奇心が旺盛な性格が災いするところ)
 ということでさっそく……。
 
 
 ※堂所御所跡までの道のりは上記ブログなどにも解説されていますが、ここでも最後≪参考文献≫の前で紹介しようと思います。
 
 
 

堂所御所跡へ

 早朝5時半。
 普段北海道の山の中で暮らしている私にとって、山の中に入るということ自体手慣れたものなのだが、内地(青森以南)の山となると普段分け入る環境とは別世界。それに、気温が高くなければ蜂や蛇といった生物の行動もまだ活発ではない。なるべく気温が上がらない朝のうちに御所跡へ向かうことにした。
 
 
 
 ……しかしながらすでに蒸し暑いw セミもフツーに鳴いていた。
 
 
 
 さて、
 
 昨日訪れた『佐渡歴史伝説館』から『真野御陵』へ向かう道すがらに『佐渡健診センター』の看板がある。
 
 ここを真っすぐ進むと『真野御陵』へと続くが、今回は右の道を行く。
 道を折れてほどなく、左手側に検診センターの建物が現れるが、そこを突き進むと……
 
 すぐにこんな林道となる。
 今回はレンタカーということもあって傷つけるわけにもいかなかったので、入り口脇にある広めのスペースに駐車した。
 ここからしばらく林道を歩くことになる。
 実際歩いてみて分かったのだが、軽トラや多少馬力のあるクルマならフツーに走っていける。まあ林道なので悪路とはいえそれなりに整備がされている。

 
 検診センターの看板奥に見えた橋(御陵橋)が頭上に。

 
 砂防ダムへつながる真野川をひたすら歩く。

 
 鬱蒼とした森の中。

 他にも何枚も写真を撮ったが、ちょっと気を抜くとすぐにレンズが曇ってしまいボヤけたものばかり撮れてしまった。それだけ湿度が高かった。
 
 
 
 そしてしばらく林道を歩くと
 
 こんな分かれ道に出会う。
 ここを右に行くと砂防ダムの下に出るが、今回は左の道へ。
 
 
 
 
 はて、入り口はどこでしょう?
 
 
 
 ズバリ!
 
 正面の薮だ!!
 さ~てロックンロールの始まりであるwww
 
 
 
 季節は夏真っ盛り。草木は十分生い茂っている。
 意を決して薮に入るもすでに私の身長を悠に超えている。
 そして入って早々から枝やらツタやらで、まともに前を向いていたらいつ顔を叩かれるか分からない。

 そこを数十m進んだところで最初の関門を突破!
 とはいえ草木は依然鬱蒼としている。

 ……と思いきや、なにやら様子がおかしい。
 視界がまるきりきいていない。ぼやけている。
 
 
 
 「……あ、メガネがない」
 
 
 
 ステキなメガネダンスィのワタクシのメガネが、なんと枝やらツタやらに連れ去れてしまった!
 
 「これは大変ザマスヨ!!」と慌てて探し回ることおよそ10分。
 なんとか見つけました。
 一応まだ辛うじて舗装された道が原型をとどめていたのが幸い、コロンと転がっていました。
 「アニキ、オイラここだよ!」と心細い声が聞こえてきそうな感じでコロンと。
 
 ……眼鏡っ子には分かることでしょうけど、メガネを無くした瞬間の絶望感。こともあろうに見知らぬ土地の山中。
 正直慌てました。
 また、あまりスピリチュアル的なものは信じない方なのですが、順徳院になにか拒絶でもされているのではないのかと。「お前は来ちゃダメ」そんなことを天から言われたような心境だった。
 とはいえ内心「どうしても行きたいんだよ。てか、メガネないと帰るに帰れないし身動き取れないし……。これでもさ、去年は隠岐まで行ってパパ(後鳥羽院)にちゃんと挨拶してきてるのよ」などと譫言のようにつぶやいた矢先に見つかったので、なんとも不思議な感じがした。
 「そんならおk!」
 メガネを拾い上げる安堵感の中でそんな声を聞いた気がした。

 ※私の脳内が修羅場だったことをお察しくださいm(_ _)m
 
 
 
 で、相棒のメガネと再び合流したところで、相変わらずの草木ながら先ほどのような高さはない薮を分け入る。
 
 とはいえ倒木とかフツーにあるんだよなこれがw
 
 
 
 こんな山道を辿ること数百m。行き着いた先は……

 
 砂防ダムの畔。

 鬱蒼とした薮がみるみる白けて行って突然現れた感じだった。
 多少スペースがあるので小休憩にも最適。

 
 砂防ダムの湖面には水没林が浮かぶ。なかなか幻想的な風景。
 北海道の山中でも時折目にするものの、それとはまた違った趣きがある。
 
 
 そしてこの砂防ダムの管理に用いるであろう設備の横の薮に入る。
 ここがまた意外な急斜面。
 
 で、ここを登りきるとちょっとした平場に出る。

 
 一説にはダム建設時の作業小屋があったところだとか。
 小休憩したり、あるいは軽トラで上がってくるならここの方が良いかもしれない。

 
 振り返るとダムがちょっと下に見える。
 
 
 
 で、この平場の端の方をよく見ると、
 
 やっぱり薮なんだがこんな入口がある(冬場だともう少しはっきりと分かるらしい)。

 で、ある意味ここがラストダンジョンの入り口だったりする。
 
 
 
 
 分け入って早々からずっとこんな道がつづく。

 
 振り返ってもこんな感じ。
 道というよりほとんど斜面にかすかに残った獣道を行く感じに近い。
 
 
 ところによっては最早どこが道なのかも分からない状態。
 
 先述のブログなどでもあった目印の沢を探すが、なかなか見当たらない。
 
 
 ……というのも、道中には2つ小さな沢がある。
 出くわすたびにプリントアウトしてきた写真と見比べるがどうにも小さい。
 沢の先を見れば茂りは一層激しい。
 「ここじゃ……ないよな?」と思案しながら先を行く。
 
 
 
 そしてやっと写真にあるような沢に出くわす。通称・目印の沢。
 
 若干見た印象が違うが、水に流されるなどして石が動いているのだろう。
 
 ……と、ここで回りを見渡すと、
 
 めっちゃピンボケですが、木々の枝や幹にピンク色のマークテープが結ばれている。これもまた目印のひとつ。

 この沢から数メートル戻って立ち居並ぶ杉林の斜面を登っていく。
 これも全てピンク色のマークテープが目印となるが、本当にところどころにしか付けられていないので、登るというよりテープを探すことに専念する。
 
 野イチゴの枝の棘が絡んだり、マムシが横たわって寝ていたり、それこそマークテープを見失ったり……。
 多分この斜面登りが一番キツかったかもしれない。

 堂所御所跡のあたりは「堂が平」と言われるが、斜面をしばらく登ると突然、杉の木が居並ぶ中に整地されたかのような平場へと出る。
 「多分この辺りなんだろう」と思案しつつ、なんとか再びとらえたマークテープを探す。
 
 
 
 そして顔をあげた先にあったのは……
 
 
 堂所御所跡の碑。
 
 やっと着いた。
 
 
 正直な心情を吐露するならば「本当にあったんだ……」と、安心かたがたそう呟かざるをえなかった。
 道自体は決して険しいものではない。砂防ダム畔まで軽トラで上がってきたならそれこそなんとはない道のりだ。
 だが、登攀の中で個人的に胸迫るもの(メガネ紛失事件など)があったが故に、ここまで行き着けたことがなによりもうれしかった。
 
 大正3年建立のこの碑。
 多少苔むしてはいるが、今もなお屹立として建っていた。
 
 碑はこんな風景を目前にしている。
 
 伝承では、ここで順徳院は焼石を頭にいただき崩御したとされている。
 
 頭上を見上げればこの光景。
 
 
 

 順徳院はここで何を思ったのだろうか?
 
 
 
 ここで戦前に撮影された写真をあげたい。
 
 (山本修之助『順徳天皇佐渡聖蹟誌』<佐渡聖蹟奉讃会、昭和17年>口絵より)

 今よりもはるかに見晴らしがいい。
 
 かつて木材が生活の必需品であった時代、人は山へと入った。
 ゆえに意図的に手を加えなくとも自ずと木々の株間は開けた。
 しかし人が手を加えなくなって後、山は本来の自然な形へと戻りつつある。
 この碑もまた、草木のそれに埋もれて、ひっそりと忘れ去られていくのかもしれない。
 有史以来人間が積み重ねてきた歴史も、それを意図的に残そうとしない限り忘れ去られ、その断片や一縷が伝承あるいは伝説として残るだけだ。
 
 
 
 伝承では順徳院はこのあたりに咲き乱れていた白い小菊を目にし、
 

いかにして 契りおきけん 白菊を
          都忘れと 名づくるも憂し

 
 と詠み、「都忘れ」と命名されたという。
 
 
 
 先述の通り、真野御陵や堂所御所が本当の意味で順徳院の御在所あるいは終焉の地であると、それを確証付ける決定的な史料が残されていないため疑問の余地がある。
 しかし仮に伝説や伝承の域を出ないにしても、そこに思いを馳せることで感じ取れるものもある。
 
 
 順徳院の辞世の歌といわれているものがある。
 

思ひきや 雲の上をば 余所に見て
    真野の入り江にて 朽ち果てむとは

 
 『増鏡』第五 内野の雲には
 

「京にはさまざまめでたき事のみおほかるに、佐渡の島には御悩ときこえし、程なく九月十二日かくれさせ給ひぬ。
  世の中の改りしきざみ、もしやなど思しよる事どもありしも、空しうへだたりのみはてぬる世をいと心細う聞召しけるに、そこはかとなく、御悩みなど重なるやうにて、失せ給ひにけるとぞ聞こえし、四十六にぞならせ給ひける、いとあはれなる世の中なるべし」

 とある。

 『増鏡』の感傷的な語り口が、より一層、辞世の歌に詠みこまれた順徳院の無念さを今に伝えているように思う。
 
 父・後鳥羽院然り、順徳院という名も後に追号されたもので、『百錬抄』第十六に
 

「(建長元年)七月廿(20)日 己丑 被行佐渡院追号事 順徳院」

 
 という記載が見られる。

 配流等で非業の死を遂げた天皇には、その怨霊化を防ぐ目的で”徳”の字が諡られる。
  cf,崇徳院,安徳天皇など……
 ちなみに後鳥羽院にも一時期『顕徳院』の追号がおくられたが後に『後鳥羽院』へと変更されている。
 
 順徳院は後鳥羽院を崇拝にも近い形で慕っていたということは、さまざまな史料から読み取れる。
 先の順徳院の「御悩」というのは、一説に、四条天皇崩御に伴う継承問題で、順徳院の子息・岩倉宮忠成王ではなく兄・土御門院の子息・邦仁皇子(後嵯峨天皇)が即位したため、父・後鳥羽院が重んじた伝統的な皇統の姿を伝える望みも、また還京の望みも完全に絶たれたことと言われている。
 順徳院は、後鳥羽院から受け継いだ王朝時代の有職故実を『禁秘抄』としてまとめているくらいに、そのことをなによりも重要視していた。
 
 あらためてこの堂所御所跡に建つ『順徳天皇行宮遺蹟』の字を眺め、ふと、都から遠く離れた島で非業の死を遂げたこの天皇に、なぜ『順徳』の名がおくられたのか、理解できた気がした。
 
 
 
 ……とまあ最後は真面目くさって書いてしまいましたが、こんな感じで行ってきました。
 今回は入口の目印となる『佐渡健診センター』のすぐ近くから徒歩で入ったため、私の歩き方で往復1時間ほど。

 で、途中の写真などで目印については解説したので、先に載せた国土地理院の地図をお借りして情報を書き込みたい。
 
 前半
 
 
 後半
 
 大体の感じなので、正確な位置などは(かなり)ズレていると思うがそのあたりはご了承願いたい。
 そして字が小さくて読みづらいかもしれないので改めて書くと、

 検診センターから林道に入る。
  ↓
 分かれ道に来たら左側の道に行き薮の中に入る。
  ↓
 砂防ダムの畔まで来たら(ここまでは軽トラなどで来られると思う)、沢伝いの道の入り口を探す。
  ↓
 小さな沢を二つ越えた先にある目印の沢に行く。
 沢の数メートル手前と沢にピンク色のマークテープがある。
 手前のマークテープあたりから斜面に入る。
 テープを見失わないように気を付けながら、斜面に向かって左斜め方向に進んでいくイメージで登る。
 急斜面を越えたら、比較的平らな山肌に出るので心なしか多めに付けられているテープを頼りに進む。

 
 と、大体こんな感じです。
 
 もし行ってみたいという場合、出来れば実際に行ったことがあるという地元の方からアドバイスをもらうことをオススメします。
 また、特別険しいわけではありませんが、それでも山の中に入るので、装備等準備はしっかりと行ってください。
 あと、私は真夏に行きましたが、断然冬場に行くことをオススメしますw
 佐渡ではどの程度降雪があるかわかりませんが、冬場であれば草などが生い茂ることもなく、比較的見通しがきくと思います。それに、蜂やヘビなどに注意を払わなくて済みます。
 
 
 
 汗だくになって宿に戻ったら、朝食を食べ終えたママに
 「あらまぁ、なんだか大変だったみたいねぇ」
 開口一番、そんな呑気なことを言われて苦笑いするしかなかったのが正直なところw
 ま、それがママの良いところでもあるのだが。
 
 
 
【佐渡の秘境】順徳院崩御の地・堂所御所跡【佐渡の入江の順徳院 後編】
~後鳥羽院をめぐるフィールドワークその2~  終わり
 
 
 

参考文献

・藝林会『順徳天皇とその周辺』<臨川書店、平成4年>
・山本修之助『順徳天皇佐渡聖蹟誌』<佐渡聖蹟奉讃会、昭和17年>
・長藤蔵『承久の乱に於ける順徳天皇と佐渡』<佐々木栄吉出版部、昭和8年>
・『増鏡』<合本、国民文庫刊行会、明治43年>
 
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 増鏡(上)

 増鏡(中)
 増鏡(下)
 
・増補史料大成32・33『平戸記1・2 妙槐記』<臨川書店、昭和40年>
・『国史大系』第14巻<経済雑誌社、明治34年>
・『真野町史』上巻<真野町教育委員会、1976>
・橘正隆編『河崎村史料編年志』<両津市河崎公民館、昭和34年>
・今泉鐸次郎編『越佐叢書』第4巻<越佐叢書刊行会、昭和8年>
・『佐渡史林 真野山皇陵記』<史林雑誌社、明治28年>
・目崎徳衛『史伝 後鳥羽院』<吉川弘文館、2001年>
・関幸彦『承久の乱と後鳥羽院』<吉川弘文館、2012年>
 
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 承久の乱と後鳥羽院 (敗者の日本史)

・山本幸司『頼朝の天下草創』<講談社学術文庫、2009年>
・白根陽子『女院領の中世的展開』<同成社、2018年>
                           など……
 
 
 

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