歌人・鳥居さんに会ってきた~三浦綾子記念文学館講演会レポ~

 

 6月13日、北海道旭川市在の三浦綾子記念文学館において、開館20周年を記念した特別講演会が開催された。
 ゲストは”セーラー服の歌人”として注目されている歌人・鳥居氏だ。


 
 キリンの子 鳥居歌集



 2016年に本家・ネト見の方でも紹介した歌集『キリンの子』は現在までに累計2万部を売り上げている。また、彼女の壮絶な半生もまた注目されている理由のひとつに挙げられていると思うが、今回はそんな前提は一旦置いて、一読者として実際どのような人なのか気になっていたのでその講演会を聴きに行ってきましたというレポートです。

 注:お察しの通り、講演会からはすでにひと月以上経っています。相変わらず起筆が遅いのですが、当日書きとったメモや印象をもとに構成しようと思います。また、当日会場内の撮影等は当然禁止だったので場内写真はありません。





●三浦綾子記念文学館開館20周年記念講演会「生きづらさに寄り添いながら」歌人・鳥居の今

 道内、特に旭川周辺の方ならご存知の方も多いと思うが、三浦綾子は旭川出身の小説家。代表作『氷点』は今なお読み継がれる名作だが、その舞台となった旭川市郊外の外国樹種見本林の中に今回の会場となった記念文学館はある。

 

 講演会冒頭、現在記念文学館の館長を務められている田中綾氏(歌人・北海学園大学教授)による簡単な紹介のあとで、鳥居さんご本人が登壇された。
 パッと見、書籍や新聞に掲載されている写真通りの人、という感じだった。
 挨拶を含めお話しをはじめたのだが、どうもたどたどしい。なんでもご本人も緊張しているという。歌人として注目されて以降、こうして人前で話す機会は多々あったと思うが、やはりこういうものには得手不得手というものがある。私もその口なので気持ちはよくわかる。
 ご自身の略歴に”小学校中退”と記されていることと、また『セーラー服の歌人 鳥居 拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語』の中でも、編者と話す際に知らない言葉に出会うと、その言葉を噛みしめるように小声で復唱していたというような描写があるが、それを裏付けるように、お話しされる一言一言にはどれも平易な言葉ばかりが並んでいた。しかしその言葉一つ一つがとても丁寧に選ばれて発せられている、そんな印象を受けた。後述することだが、鳥居さんが短歌と向き合う際、きっと同じような姿勢なのだろうな、という印象でもある。


 最初はなぜセーラ服を着ているかということについてから、もちろん……と言っては失礼になるかもしれないが、前記『セーラー服の~』等でも紹介されていた鳥居さん自身の数奇にして壮絶な半生を、少しずつ話し始めてくれた。
 セーラー服を着て活動していることについては、歌人として活動のほかに教育に関しての講演等の活動も行っていることから、『どんな人にも教育を受ける権利がある』ことを代弁する上でその象徴としてセーラ服を身に着けているという。
 また半生の詳細については前記紹介の本などにことをゆずるとしても、医師からは「過去はあまり思い出さないように」という指示があるようなので、そもそもこうしたことをご本人に語らせること自体が酷なのかもしれないのだから、実に勇気のいる作業だと思った。それなりに憚られる言葉もあるだろう。


 その話しの中で一点印象に残ったのは、孤児院で虐待される日々をジブリ映画『火垂るの墓』中の清太・節子兄妹の生活になぞらえていたが、曰く「戦時下に共感することも多い」と。
 私自身そのいずれも経験していないが、たとえば私の祖父母はいわゆる昭和一桁世代で思春期から青年期にかけてを戦時下で過ごしているのだが、子供の頃に当時の話しを聞いた際に語った言葉を思い返してみると、なんとなくではあるが、今回の講演で鳥居さんの語る言葉と深いところで通じる糸筋があるような気がしなくもなかった。鳥居さんの半生によれば、ちょうど同じ歳の頃にどうしようもない不条理を通って来たのだから。それがどこまで深いところにあるのか、いずれも知らない私には思い計る以外に法はないのだけれど。……

●短歌との出会い、それから……

 ホームレスのような生活で金銭的にもまったく自由の利かない中、図書館に通いいろんな本を読み、知らないことを学ぶ楽しさを知ったという。その中で、たまたま穂村弘氏の歌集を手にしたことが短歌との最初の出会いだった。曰く「すごく凄かった」と。五・七・五・七・七だけで構成された一句、たった31文字しかないその中で映画や小説一本分くらいの世界を展開する様に驚いたという。
 「この世の中には短歌というすごいものがある!」
 周囲の人にそれを伝えたところで返ってきた反応はその熱量とは裏腹のものだったようだ。「学校で習ったけどダルかったわ…」「季語とかいるやつだったっけ?」……
 鳥居さんは短歌を詠む動機として、この時の悔しさがあると語っていた。「短歌って面白い」自分が好きなものを他の人にも勧めたくなるのは人の性というものだろう。その後、自分で句作する以外にも、突然書店に寄って歌集のポップ(書籍の宣伝用カード)を書かせてもらったり、「この歌集が面白い!」といった内容を書いたビラを駅前で配るなど、地道な活動をしていたらしい。

 現在鳥居さんは若い世代にも短歌を広めるべく、いくつかの歌会も催している。フリースクールを中心に、「生きづらい人限定」の歌会だったりまた子供向けの短歌講座、セクシャルマイノリティの方たちとの歌会などだ。歌会では「絶対相手を否定しない」というルールを敷いているという。「自分はこの歌が好きだ」と選んできた短歌をみんなでどこが良いのか、どこが好きなのかを考える。深刻に考えるのではなく楽観的に物事をとらえ、また互いに共感しあえるという事実を育むためと語っていたが、その軸として短歌というものが用いられることに、私自身とても感激した。
 私は短歌ということなら和歌を中心に読んできた(藤原定家、源実朝、後鳥羽院あたり)が、ある時短歌と和歌の違いはなにかと考えたことがあった。実質、短歌は和歌の一形式であり、万葉から新古今の頃までの短歌が一般的に”和歌”の代表的なものとして文学史的に呼称されているだけだが(そういう意味で今日的な近現代短歌は和歌と呼称されていない)、その時ふと感じたのは「和歌」=「輪歌」、つまり京という都(中心)とその周辺としての時代・地域・人びとの営みという『輪=和』で詠まれた歌、とらえられるのではないか? と。……なんとはなしだが、その時思いついたことと鳥居さんの歌会が自分の中で妙にマッチした。
 ちなみに、子供向けの歌会ではお菓子やジュースで釣っていると話していたが、それも十分アリだと思う(笑

●現在の活動とこれからのことと

 先にも書いたが、現在鳥居さんは歌人以外にも教育関係の活動もされている。
 その中でも大きなものが、2015年になって認められた形式卒業者の夜間中学への入学の問題だ。病気等の諸事情で、義務教育期間中に学校に十分に通えなかったのにも関わらず、形だけは卒業したことになっている人は、いくら学びなおしたいと思っていても夜間中学への入学が認められていなかったというものだ。実に約70年にわたって放置されつづけてきたこの問題を、鳥居さんや支援者が訴え続けようやく文科省を動かしたのだ(このことと夜間中学の問題点については、本年3月に前文科省事務次官・前川喜平氏とのトークイベントに詳しい。 →日本語学校化する「夜間中学」の残念な実情 前川喜平氏と歌人・鳥居さんが訴える 東洋経済オンライン<18年4月1日>)。
 こうした話しを聞くだに、とても力強いものを感じた。精力的というよりも、魂の叫びのような感じだろうか。
 鳥居さんの歌で、私はそこに詠まれた情景や感情よりも、言葉の選ばれ方が特徴的だと感じている。はっきりといてしまえば緻密で繊細な感じは受けない。むしろ大きくざっくりとした荒々しさというがふさわしい。それはちゃんとした教育を受けてこられなかったがゆえの論理性の欠如や語彙力の問題などではなく、純粋に自身の内面から滲み出てきたものと向き合っているがゆえではないだろうか。それゆえ読んだ人の心の中に、スッと溶け込むように入ってくる。
 講演会後半の質疑応答の際、歌を詠む折について「諸先輩たちの歌集を読んでは打ちのめされ、立ち上がれなくなるほど落ち込んで、それでも這いつくばって…」と語っていたが、さもありなんという感を受けた。


 この質疑応答の際にはほかにも面白い話題が飛んだ。
 歌を詠んだり原稿を書く場合はパソコンでwordを使って書いているとのことが、書式は必ず縦書きにするという。「短歌は本になったとき縦に印刷されているので書くのも縦」であるべきで「たとえば髪を切るのに、出来るからといってわざわざ横になって切る人はいない」と。これは個人的に非常に共感できる話しだった。
 個人的な話しで恐縮だが、大分前のこと、まだ物書きとして駆け出しの頃、自分より20歳くらい年上の同業の方とこの件のような話しをしたことがあった。お互い小説を書く際にどうしているかと話している中で、私は手書きでもパソコンでも縦書きにするというと、先方曰く「なんでわざわざ縦書きにするのか意味がわからない」「立ち上げたら横書きなんだからそのまま使えば楽」「そもそも縦でも横でも変わんない」挙げ句「なによりそんなに縦書きにこだわってるって、単純に『小説は縦書きであるべきだ~』的なことに憧れてるだけじゃないの?」などなど散々な言われ方をしたが、その時も今も思うのは「縦と横では書く時の感覚が全く違う」ということだ。人それぞれだとは思うけど、それでもこの違いは大きいと思う。まあ、その方はその程度の感性だったってことで、そりゃあの程度の小出来なものしか書けないわな……(とこれ以上書くと悪口になるし、そもそも本題とかけ離れてしまうので、閑話休題)。
 また別の質問では「今何を学んでみたいか」という問いに「マンガの書き方」と答えたことが興味深かった。Twitterなどでもマンガやアニメが好き(「ボカロも大好き」と言っていてボカロ厨の私的に歓喜)だと公言していることもあるが、それ以上にマンガやアニメを通じて“短歌を広めたい”という全くブレていない理由に安堵するとともに感動した。「短歌って本当にカッコイイんですよ~」と目を輝かせながらうれしそうに語った姿を見て、この人は本当に短歌が好きなんだなとあらためて感じた。
 この件について、私はぜひ実行してほしいと思っている。昨今のマンガやアニメの界隈でも、それまで見向きもされなかったものやマイナーすぎるもの、あるいは人気者の陰で隅に追いやられていた人物や事柄などが題材として取り上げられる機運が高まっている。これは是が非でも推したい。


 最後に、こうしたイベントで質疑応答がある際は、必ず私もなにかしら聞くようにしている。というのは、仕事で取材やインタビューするのとは違い、タダで、しかもほぼ制約なく(常識的な範囲内などの縛りはあるだろうが)聞きたいことを聞けて、なおかつ本人が答えてくれるという願ってもないチャンスだからだ。
 そこで私の質問「(やってみたいこと挑戦してみたいこと以外で)今の鳥居さんの夢はなんですか?」
 私はよく人にこの質問をする。というのも、その答えにその人の素の表情を垣間見ることが出来るからだ。
 そして鳥居さんの返答だが、少し考えたあとで「フツーに彼氏とかつくってデートとかしてみたいです」と答えてくれた。会場の三浦綾子記念文学館は見本林の端っこにあるのだが、館内の喫茶コーナーからはその並木が美しく映えて見える。「こんなきれいな緑のなかでお茶とかできたらステキですね」と目をキラキラさせて語った姿が印象的だった。と同時に、この人は、普通の人なら普通に経験して来たはずのことでさえ経験して来られなかったのか、とあらためて世の不条理というものを感じた。


 夢ということに関して、鳥居さんは改めて学びなおす中で学校で教鞭をとりたいということも語っていた。本来、教師という仕事にはこうした「その人にしか語れないものを持っている」人がなるべきだと私は常々考えているので、これもまた叶えてほしいと思う。




 講演会のタイトルには「生きづらさに寄り添いながら」という文字が並ぶ。
 「生きづらさ」……世の中は常に目まぐるしく移り変わり、またいろんな思惑や不都合が取り巻いている。それに翻弄されながら、人はその不条理の海を泳ぎ漂っている。時にその波間に飲み込まれて自分を見失い、生きていることに何の意味も見いだせないこともあるだろう。ただただ漠然とした虚無感に苛まれることもあるだろう。
 だがそんな時、「生きていてもいい」と実感できる何かが目の前に立ち現われたら、どうだろうか? どんなに救われ助けられることだろうか。そしてそれを求め、あるいはそこにしがみついて生きることは、決して恥ずかしいことではない。そのことを恥じるほど、人間は強くない。
 大切なのは、今目の前にある世界を素直に引き受けることなのではないだろうか? それが幸せに満ちたものであっても、理不尽過ぎるほどに残酷なものであっても……。そしてその引き受けた世界に対して何を想うのか。感情はその人の経験経緯と相俟ってどこまで行っても個人的なものでしかない。だが、対話や交流を通し他人のそれに触れることでその想いを変えることができることも確かだ。それがいかなる関係性の者同士であっても。そうして相互に結ばれた点と点が、やがて社会全体に渡る大きな網のような形をもって、不条理の海を泳ぎ漂う者を『すくい』上げてくれるのかもしれない。そして今回、その一糸がたまたま『短歌』というキーワードを編み込んでいたのだろう。 


 自分も日々ネット上でニュースを集めたり動画を紹介したりしているが、それもまた誰かにとって救いの網となっているのだろうか? 自分のブログサイトを見ているときだけでも、その人が日々の辛い事やイヤなことを忘れられてくれたら……そんな風に思ってもらえるサイト運営もアリなのではないかな、と改めて考えた。当然それは、自分自身の日々の言動に対しても言えることだ。そうした自戒がフッと沸き起こったことが、今回の講演会での私の収穫といったところだろうか。


 
 ユリイカ 2016年8月号 特集=あたらしい短歌、ここにあります


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