【読書感想】高橋輝次『増補版 誤植読本』

 
 増補版 誤植読本
 高橋輝次

 出版社:筑摩書房(ちくま文庫)
 発売日:2013/06/10

「校正」世界の奥深さ

 2000年に出た単行本の文庫版。校正・校閲・誤植にまつわる珠玉のエッセイを集めたアンソロジー。書き手はみな百戦錬磨の錚々たる面々だが、文字や活字に関わる仕事に就いているだけに、常日頃から校正・誤植と不可分な関係性であることは拒否できない。
 現在のようにデジタル入稿が当たり前になった世の中でも、誤入力や変換ミスでさまざまな誤植が起こりうるというのに活版印刷全盛の時代なら況や……。活版印刷全盛期、活字を拾う「文選」作業において、編集者がたった一字「送った」だけでもそれがおさまるまでページを越えて全ての活字を動かさなけでばならなかった話しなど、当時の苦労が偲ばれる。

 「誤植」それ自体は、筆者としても携わった編集者としても痛恨の極み、大失態に他ならない。
 しかし詩人などは誤植の結果、作品がより良くなったと感じている人も多いようで、「災い転じて福となす」よろしく好意的に見ている場合があることが興味深い。
 また「表記ゆれ」を防ぐべく奔走した編集者の仕事に対し、「ここは『時』と『とき』とでは前後の文章で微妙に違う」など、表現者としての著作者の矜持とジレンマがにじみ出ているエピソードなどには、内心ほっこりとさせられる。
 一方、度重なる校正の末に「読んだ」が「続んだ」になっていた、「庇」が「屁」、「真一郎」という著作者の名前が思い込みによって「慎一郎」にされた、「イッパツできまる」を「イッパツできる」と誤植され「明日の縁談にさしつえると本当に困る」と当時婚前だった林真理子先生に嘆かせたりと……まあ出るわ出るわの笑っちゃいけないけれど笑わざるを得ないエピソードの数々には、文筆業の末端を汚す程度の私であっても身につまされてしまう。最近はほとんどやらないが、以前は書く以外にも編集校正も請け負ったことがあるので、著作者・編集者の両方の立ち位置もなんとなく分かってしまうので余計である。
 まさしく「後生恐るべし」ならぬ「校正恐るべし」だ。
 
 著者は編集者を経てフリーになった方で、編集世界を扱った数々の著作がありそれらも興味深いところだ。

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 校正のこころ 増補改訂第二版: 積極的受け身のすすめ

 

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