カルト宗教信じてました。
たもさん
出版社:彩図社
発売日:2017/04/27
カルト宗教やめました。~「エホバの証人2世」の私が信仰を捨てた後の物語~
出版社:彩図社
発売日:2020/01/28
自分の人生の主役は誰なのか? 信じきることの虚しさと信じられることの大切さ
一応はじめに断っておくが、本稿および本稿で取り上げるものは特定の個人や団体、信仰を否定するものではない。
さて、本書に登場する某宗教については以前にも元信者という方が書いたものを紹介しているが、本書は似た経緯ながら異なる経験ということで新鮮に読めるものだった。
主人公である著者は実母につれられ入信したという。ではその実母はなぜ入信するに至ったのか? 時折懐古的に入信当時あるいはその前夜の姿が描写されているが、総じてそこに垣間見えるのは人間が本来的に持つ心の"弱さ"である。
入信以降の教団内での生活、学生であった著者が日常を送る学校生活。教義と内面の葛藤から立ち現れる数々の軋轢と矛盾を、自分の中で押し殺すよう飲み込んでいく姿はあまりにも壮絶だ。
軽いタッチの画だが、それ故に地の文の描写があまりにも生々しい。
子どもの難病発症を契機とした一連の出来事の中で、著者は件の宗教を抜けるきっかけをつかむのだが、そこには一宗教者以前の、人間としての理性を辛うじて保ちえた姿がある。その状況を想像するだに、あまりにもシリアスな描写が読む側の心理を複雑に揺さぶる。
誰であっても尽きることのない悩みや不安に押しつぶされそうになることはある。人生はその連続なのかもしれないが、宗教とは本来、そんなときにこそ寄り添い支えになってくれるものだと私は考えている。しかし種々さまざまな宗教のなかには、その教義教説が狂信的とも偏執的ともみえてしまうものも少なくない。
己の信じるものの中にのみ閉じこもり、排他的である環境、そうした中にのみ居場所を求めざるを得なくなる状況、そこから得られるものは狭窄な視点と矮小な世界でしかない。
「これが正しい」「これこそが真実だ」と信じ声高に叫ぶことはそれぞれの自由であるが、それをもって排斥・糾弾を許容する理由であってはならない。
宗教に限ったことではないだろう。
宗教とは無縁の生活のなかにあっても、似たような構造を示す事象は豊富だ。政治然り趣味趣向然り、交友関係あるいは文化や歴史的な認識に至るまで事欠かない。
己と非なるものを受け入れず、場合によっては攻撃したり排除したりする光景は、世間に有り余るほどに溢れている。
良い面悪い面もろもろ、それらが広大に複雑に絡み合ってわれわれの住む世界は出来上がっているのだから、そんな複雑系を善悪や優劣といった両極端な考え方だけで読み解けるはずはない。
白黒の間のグレーの余白に何を思い描くかで、その微妙な色合いの変化と同様、子細な事象がはじめて浮き彫りにされてくるのだ。そしてそれが人間というものの本来もっている心の機微のなせるものなのだと思う。
両極端であることは分かりやすいし結果結論も明白にとらえやすいが、同時にあまりにも粗雑で乱暴でもある。なによりそこからは軋轢や対立といった他への不寛容さしかもたらされない。
グレーの部分、そこに目を向けられる視点視座の広さ、そして寛容さがあれば、この世界はどこまでも広がっていくに違いない。
そのとき自分がなにを信じるのかは、その人それぞれが考えればいいのだ。
自分の人生の主人公は、自分自身しかいないのだから。