つながりっぱなしの日常を生きる
ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの
ダナ・ボイド 著 野中モモ 訳
出版社;草思社
発売日:2014/10/09
若者にとっての"社会=公(パブリック)"とインターネットに対する親子間の認識のギャップ、その背景にあるもの。
少しラフな感じを受けるタイトル。そしてキャッチ―な表紙イラスト。
副題の「ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの」という言葉から分かる通り、本書はインターネット、その中でも特に若者によるSNS利用について、その背景にある問題や影響などを調査・考察した内容だが、本題や表紙から受ける印象とは全く逆で、内容的にはかなり硬派な専門書だ。
2000年代のアメリカのティーンエイジャーに著者自らインタビューを行なった調査は、人種や年齢、家庭環境はじめ文化的な背景も違う子どもたちから貴重にして膨大な証言を得ている。
プライバシー、中毒性、いじめなど、現在日本をはじめ世界各国でも問題となっている若者のネット上での問題行動だが、その原動力のようなものを追う上で、本書は実に重要な示唆を与えてくれている。
若者たちがSNSに向かおうとするのに比例して、親たちがそれを危惧し拒絶するような反応をするという傾向、また親子間でインターネットというものに対して抱いているイメージのギャップなど、表面的にはインターネットという「新たなツール」が登場したことで親と子の双方でその反応に顕著な差があると見受けられるが、その実を紐解けば、それまで肌身で接することが前提だった社会がインターネット上のバーチャルなものに置換されただけと考えられ、結局若者が自身の存在意義を社会=公(パブリック)のどこに見出そうとしていて、親はそれをどう監視・制限するかという関係性は、今も昔も変わりないと言える。
しかしその一方で、従来ならば若者の従する社会的環境は、基本的に同年代だったり近しい文化的背景を持っていることが当たり前だったが、いざそれがインターネット上ということになると、年齢はもちろん人種や宗教など実にさまざまで、ある意味まだ10代の子供たちにとってはオープンすぎる環境だともいえる。
そういう意味で、社会的にまだまだ未熟で不慣れな若者にとって、インターネットというデジタルな社会は、同様に不慣れで未精通のものだ。生まれついたそばからデジタル化された環境が傍らにあったとはいえ、彼らが「デジタルネイティブ」であるとはいえない。
大切なのは、世代的あるいは社会・文化的な差異から一方的に拒絶や隔離をするのではなく、互いに寄り添いながら対処方法を模索していくことだ。
インターネットもバーチャルな世界ではあるが、そこもまた「社会=公」のひとつの姿であることは忘れるべきではない。
本書には訳がイマイチこなれていない感じがして読み難いという問題点がある。また事例を淡々と列挙していくような書き口で、細かく結論めいたことが書かれているわけではないので、読み進めていく上で多少精読が必要な部分がある。それを補うように、巻末の脚注や参考文献はとても充実している。
また一つに、アメリカという一国の社会的文化的問題点が前提となっていることがあるが、SNSに対する若者の見解や反応、それに対しての親たちの対応など、その根幹にあるものは他国においても覆るほどの大差はないと思う。アメリカにおいては特に人種や宗教的な差というのが生活のいたる部分で顕著に現れたりするが、このSNSについての問題の核心はそうした表面的な部分に影響されるものではない。つまりは、大人と子どもとの関係性というのは、いつの時代でもそう変わるものではないことの現れだろう。
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