夏目漱石『こころ』の散歩道

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 cf,漱石没後100年、人気衰えず 書店で文庫フェア

 
 夏目漱石『こころ』(新潮文庫版)

 夏目漱石後期三部作の一つ『こころ』。
 その中でも第三章にあたる「下 先生と遺書」は今でも高校の教科書に掲載されている。
 あらすじに関しては……長くなるので以下のサイトに譲ります。
  cf,夏目漱石「こころ」のあらすじを紹介

 さて、主人公の『私』が鎌倉で出会った『先生』は、学生時代に現在の文京区小石川にある伝通院裏で下宿していたのですが、物語のキーパーソンである『K』とともによく散歩に出かけています。
 範囲としてはそんなに広くありませんが、そこに出てくる地名はいまでも残っているものも多く、今回はその中でもラストに近いシーン、『先生』が下宿先の『奥さん』に『お嬢さん』を「(私の)妻としてぜひ下さい」とお願いし了承を得た後に出てくる一節、

「(下 四十五)……私はとうとう帽子を被かぶって表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。(中略)ずんずん水道橋の方へ曲ってしまいました。
(四十六)私は猿楽町から神保町の通りへ出て、小川町の方へ曲りました。私がこの界隈を歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺れのした書物などを眺ながめる気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅の事を考えていました。(中略)私はとうとう万世橋を渡って、明神の坂を上がって、本郷台へ来て、それからまた菊坂を下りて、しまいに小石川の谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三区に跨がって、いびつな円を描いたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。」

 この部分で『先生』が歩いていた道を今回散歩してみたいと思います。

 ……と、その前に一つだけ白状しておきますが、実はこの散歩、昨年2017年12月に歩きました。
 はい、一年ほど放置してましたw 忘れていたワケではなかったんですがね(-谷-;A
 
 
 
 さて早速。


夏目漱石『こころ』をどう読むか

NHK「100分de名著」ブックス 夏目漱石 こころ

 まずは伝通院前から。
 
 
 遠くに文京区役所のビルが見える。
 
 
 
 文京区は本郷台地を中心とした地域のため、23区内でも特に坂の多い区。

 
 ここ伝通院前からもすぐ坂道になる。伝通院から神田川へ下る坂は「安藤坂」と呼ばれ、江戸時代に安藤飛騨守の上屋敷があったことが名前の由来。
 明治時代までは急勾配の坂だったようだが、、路面電車を通すために緩やかな坂に工事されたらしい。
 
 とはいえ今でも若干急だ。ちょっと見えづらいが、画像左側に安藤坂がある。

 この坂の近くにある牛天北野神社。
 
 この神社、源頼朝が東征の際に滞在した折、菅原道真が夢に出てきたことに由来する縁起を持っている。
 小石川の密な住宅街の中にあって、境内もとてもこじんまりとしていて静謐な場所だ。

 さて、安藤坂を北野神社方面に下りきった先でちょっと変形した十字路に出くわす。
 
 ここを左に折れると小石川後楽園を経て東京ドームの袂に出る。右の道の奥にある首都高沿いに歩くと飯田橋に出る。
 今回は真ん中の道を行く。小石川運動場-警視庁遺失物センターのある細い道をまっすぐ歩くと飯田橋駅近くの外堀通りに出る。
 
 ここを左に曲がり一路水道橋方面へ……。

 
 この辺りの風景は、個人的にとても好きだ。

 
 東京ドームがひょっこり顔を出す。都内住の頃はよく自転車で通った道だったりする。

 
 水道橋駅前到着。

 余談だが、水道橋駅前を秋葉原方面へ抜ける御茶ノ水坂の傍らには、谷根千散歩で出てきた「高林寺」跡が公園として整備されている。
  cf,谷根千を歩く。【おまけ編】 - 本駒込界隈
 
 
 
 
 
 さて、ドームシティ・ラクーアなどを背に神保町方面へ。
 
 神保町界隈白山通りのシンボルといっても過言ではない研数学館。
 この界隈もレトロな建物が多い。 ※この建物は2017年3月に取り壊されました。

 
 神保町駅前交差点。

 
 いわずとしれた世界屈指の古書街。学生時代はもちろん、今でも上京するたびに必ず足を運んでいる。
 
 一歩路地を入ったところにある老舗の喫茶店の数々にも、ホントお世話になったなぁ。
 
 
 さて、神保町の交差点を靖国通りに曲がって小川町方面へ。
 
 小川町
 
 
 淡路町を経る。

 淡路町の交差点を過ぎたところにあるのが日本三大蕎麦屋の一つ、神田「まつや」
 
 庶民的で飾らず、それでいて江戸の粋を今なお受け継いでいる店の風格には堂々としたものがある。
 そしてやっぱり私も都内住の頃はちょくちょく通った。

 さて気を取り直して、淡路町方面から一路、オタクのメッカ・秋葉原方面へ。
 
 万世橋。
 
 旧万世橋駅跡の風景はいつ見ても「東京」という感じがある。

 で、秋葉原に足を踏み入れる一歩手前でこの橋から一路昌平橋へ。
 
 
 昌平橋を越えて本郷方面へ。

 
 
 湯島聖堂と神田明神に挟まれた本郷通りを行く。

 
 この辺りでも路地には緩やかな坂が軒並み続く。

 
 JFA(日本サッカー協会)もこの通り沿い。

 
 本郷三丁目交差点。

 江戸の川柳「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」で有名なこの界隈に残る「かねやすビル」にはこんな看板がある。
 
 この「かねやすビル」のある本郷三丁目交差点を小石川方面に曲がると春日通りは緩やかに大きくカーブしながら下っていく。
 
 
 この春日通りを駒込方面に一本入ったところにあるのが菊坂だが、現在の菊坂自体はあまり坂らしい坂という感じがない。
 というか、坂というには文京区内の他の坂に比べても大分なだらかな感じだ。
 
 
 かつては坂の途中に菊富士ホテルなど、文豪・文化人に広く愛された老舗があった。
 そして古くからの住宅街ということもあって、ちょうど山手と下町の境を思わせる街並みが今でも残っている。

 最後にその街の中を少しだけ散策してみたい。

 ……少しだけというのは、ホント住宅街なので写真を撮るにもなかなか気を使ってしまう。
 
 
 
 漱石の『こころ』でも多々描写があるように「小石川の“谷”」を彷彿とさせる急な坂が点在する。
 
 ぎっしりつまった感じの住宅街。
 この一角には樋口一葉が産湯をつかった井戸が今なお残されている(やっぱり住宅のど真ん中なので写真は割愛)。
 
 小路と小路抜ける細い路地もあちらこちらにある。
 昭和中期の日本映画でたびたびロケ地とされたようなところもある。
 
 
 
 ……さて、ここで今回の散歩コースが記された一節を再び引いてみよう。

「(下 四十五)……私はとうとう帽子を被かぶって表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。(中略)ずんずん水道橋の方へ曲ってしまいました。
(四十六)私は猿楽町から神保町の通りへ出て、小川町の方へ曲りました。私がこの界隈を歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺れのした書物などを眺ながめる気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅の事を考えていました。(中略)私はとうとう万世橋を渡って、明神の坂を上がって、本郷台へ来て、それからまた菊坂を下りて、しまいに小石川の谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三区に跨がって、いびつな円を描いたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。」

 『先生』の下宿は小石川の伝通院裏にある。そしてあちらこちらを周って再び小石川へと戻ってきている。散歩なのだから当たり前だが、その経路を「いびつな円を描いたともいわれるでしょう」と称しているが、さてその実を地図に落とし込んでみると……

 

 確かにいびつだ。
 
 『こころ』という作品は、三角関係のもつれを基軸に人間のもつエゴイズムを描き出すことにその重きが置かれているが、そうした関係性を一つの輪におとしこめば、そこには順風で素直な輪(和)ではなく、やはりギクシャクとしたまとまりのないいびつな輪(和)=円(縁)が浮かび上がってくる。物語の最終盤にこうした経路を登場人物に歩かせたことには、そうしたことへの示唆を感ぜずにはいられない。
 もっともこの経路、今回の私の歩き方で一時間弱。距離にしておよそ6kmほどなのだが、その間『先生』が考えた「宅のこと」、つまり『お嬢さん』へ求婚したことに対する不安や焦燥、期待や安堵といった万感こもごも到る心情を読者に印象づけるには実に効果的なのかもしれない。地理的なものが分かっていれば尚更である。
 
 
 
 ちなみに、多分『こころ』という作品の中では一番有名といっても過言ではない「(精神的に)向上心のないものは馬鹿だ」というセリフは、(下 四十一)で『先生』が『K』に対して放ったものだが、この時『先生』と『K』が歩いたのは、東京大学本郷キャンパス内にある東大病院の入り口になる「竜岡門」から上野・不忍池へ抜ける道です。

 

 ここは東大の塀沿いにただ歩くだけの短い道ですが、それでも途中には無縁坂という坂があったり、旧岩崎邸庭園のレンガ塀があったりと、繁華街に近いとはいえかなり閑静な散歩路です。
 
 
 住所的には湯島になりますが、谷根千の雰囲気がまだまだ続いています。
 


東京文学散歩

姜尚中 悩む力

 

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コメント

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