Amazon
史上最強の哲学入門 Kindle版
2023年3月、3年前から世界を席巻した某ウイルスの流行も収まりをみせ、久々に(本格的な)上京しました。そのときブラっと『中野区立哲学堂公園』に立ち寄ったので、その時のレポートです。ひさびさの散歩記事。
さて、哲学堂公園への行き方は複数ありますが、今回は都営大江戸線落合南長崎駅から(その他のルートは記事末に記載します)。
A1出口から都道440号線・新青梅街道を西に向かって歩く。
途中、なんのご縁かこんな建物が。。。
『チベットハウス』
ダライ・ラマの日本代表部事務所です。
ちなみに哲学堂公園の近くには「ストゥーパ(仏舎利)」のような建築物が見えますが、あれは配水塔です。 cf,野方配水塔
さらにちなみにですが、中野区には真言宗豊山派の慈眼寺というお寺があり(中野区中央3丁目)、そちらには金色のストゥーパがあります。 cf,東京 中野 福王山慈眼寺
・・・とまあ、なんやかんやブラブラ歩くこと約10分、哲学堂公園入口へ。
落合南長崎駅からだと道なりで800mくらい。
ここでザックリと哲学堂公園について解説しておくと、この公園は明治時代の哲学者であり妖怪博士・井上円了が「四聖堂」という建物を建設したことにはじまる。
井上円了は現在の東洋大学、かつての私立哲学館の創立者。日本の教育史において今でも語り継がれる「哲学館事件」などがあった明治30年代半ば、専門学校令により「私立哲学館大学」として認可されたことを記念し、円了が「古今東西の聖賢」として崇めた孔子・釈迦・ソクラテス・カントを祀ったのが「四聖堂」だ。
もともとは大学自体を移設・造成するつもりだったようだが、最終的には精神修養のための公園として整備されることになった。
円了は大正8(1919)年に亡くなったが、その遺言によって昭和19(1944)年に東京都へと寄贈され、戦後には開設2番目の都立公園として開園、昭和50(1975)年に中野区へ移管され区立公園として整備された。
入口の碑からも少し歩く。
ちなみにだが、近所には「井上」さんという方がお住まいである。他でもない井上円了のご子孫だ。
では気を取り直して早速中へ。。。
最初に出くわす鉄門だが、左の柱を「眞理界」、右の柱を「哲學關(てつがくかん)」という。
さて、なぜでしょう~?
この門をくぐって右側には管理事務所が、公園内への入り口は左側になる。
そこにあるのが
『哲理門』。
この門の両側には写真でも確認できるとおり、左側には幽霊、右側には天狗の像が安置されている。
さて、なぜでしょう~?
ちなみに現在安置されている像は平成30年の修復時に作成されたレプリカ。オリジナルは中野区立歴史民俗資料館で保管されている。
哲理門をくぐって正面に見える堅牢な建物が件の『四聖堂』。
この公園の中心的な建物で、内部には『唱念塔』という石塔が安置されている。
哲理門のすぐ左側には『三学亭』という建物がある。
ここでいう三学というのは日本的な三道(神道・仏教・儒教)の代表的研究者として平田篤胤・釈凝念・林羅山のことをさし、その三人を崇奉している。
で、この三学堂、三角形の小山に三角形の屋根をもつ三本柱の東屋で、三方の斜面にそれぞれ階段が設けられている。
さて、なぜでしょう~?
三学堂の対面には『六賢臺(ろっけんだい)』という塔がある。
ここでいう六賢というのは聖徳太子・菅原道真・荘子・朱子・龍樹・迦毘羅(かぴら)の東洋における六人の哲人をさしており、三学亭同様崇奉している。
なぜ三学堂と六賢臺は対に建てられているのでしょう~?
さらに、三学堂と六賢臺の後ろにはそれぞれ『硯塚』『筆塚』が建っているのだが、
さて、なぜでしょう~?
三学堂の隣りには『宇宙館』という建物がある。
ここはいわゆる講義用の建物で、今でも毎年11月にある哲学堂祭の折にはこの前で講演なんかが行われている。
なぜ「宇宙」って言葉がついているのでしょう~?
宇宙館の更に隣には『絶対城』がある。
ここはかつて図書館として使われていたところだが、現在は建物だけで中にはなにもない。また基本的に内部は公開されていないが、年に数回ある限定公開日にはこの中で本が読める「図書タイム」がある。私も何度か入ったことがあるが、往時の雰囲気というか、読書家にとっては最高の読書スペースであることウケあいだ。
どうして「絶対」城という名前になっているのでしょう~?
これまでみてきた建物は、すべて哲理門をくぐってすぐの場所にある。
で、これらの建物は『時空岡』と呼ばれる岡の上の広場となっている。
ここからは時空岡を下って行ってみましょう。
この時空岡の最奥部には『歸納場(きのうじょう)』と呼ばれ、傍らには『意識驛(いしきえき)』という碑が立っています。下り階段はそこにある。
この階段を下っていくと・・・
こんなところに出る。
ここは『演繹觀(えんえきかん)』と呼ばれる広場。
この演繹觀と先ほどの歸納場を結ぶ階段は『認識路(にんしきろ)』と呼ばれている。
さて、どういう意味でしょう~?
この演繹觀をさらに下ると『論理域』と『心理崖(しんりがい)』を通り、
『心字池(しんじいけ)』というところに出る。
この池は上から見ると「心」という字のように掘られている・・・らしいのだが、残念ながらそう見えない・・・。
それはさておき、写真では左側で見切れてしまっているあたりに『槪念橋(がいねんきょう)』という橋がかかっていて、そこを渡って対岸に行くと写真左側に写る『倫理淵(りんりえん)』『理性島(りせいじま)』を有する『唯心庭(ゆいしんてい)』に行き着く。
一気にワタワタっときた感じですが、
さて、この池周辺はなにを現わしているのでしょう~?
さらにこの池の畔には
『主観亭』と呼ばれる東屋があり、小休憩できるようになっている。
さて、なぜでしょう~?
また近くには時空岡につながる別の階段もあるが、そこは『直覺徑(ちょっかくけい)』と呼ばれている。
説明板には
「唯心庭より丘上の論理域に達する近道を選ぶとするならば、この直覺徑を行けばよい」
と書かれている。
さて、どういう意味でしょう~?
Amazon
ひと目でわかる 哲学のしくみとはたらき図鑑 (イラスト授業シリーズ)
・・・とまあ、「なぜ」「どうして」「どういう意味」など数々聞いてきたので、これを読んでいる人の頭も大分コンガラかってきたと思うので、今回はこの辺でやめておこうと思う。
実は最後の直覺徑の先にも数多くの場や空間・碑がある。先の『唯心庭』なんかはこの奥にある『唯物園』に対応した小庭である。ゆえにそこにも意味があったりする。で、その数の総数なのだが実に77にもおよび、「(哲学堂)七十七場」などとも呼ばれているのだが、その全てに意味や謂れがあって、井上円了の世界観というかその思想を垣間見れる気がする。
ちなみに公園入口には園内地図と各場名称の案内板もある。
私もその謂れや意味のすべてを知っているワケではない。むしろ何度も来ているのにも関わらず、毎度違った答えが頭に浮かんだりする。
なにせここは世界的にも珍しい「哲学」のテーマパーク。そう易々と答えが見つけられるわけもなく、また答えが一つとは限らない。
そんな小難しいことは抜きにしても、散歩がてらブラっと歩いてみるのも楽しい。
今回は3月半ば、東京でも桜の開花宣言がなどという声が聞こえつつあったころ。桜の芽も程よくほころんでいた。
今回は行かなかったが、公園最深部には「哲学の庭」と呼ばれている庭がある。そこは日本とハンガリーとの国交記念事業として、首都・ブタペストにあるのと同じ公園が設置されている。
また梅林や菖蒲池など、季節ごとの見どころも多い。
公園入口付近には売店もある。
「哲学堂揚煎」なるものもある(笑)
公園には野球場・テニスコート・弓道場といった運動施設も併設されており、一般利用可能だ(運動公園は哲学堂公園以外にも近隣の「妙法寺河公園運動広場」「上高田運動施設」の利用申請もできる)。一般利用可能といえば、七十七場のひとつ『鬼神窟(きしんくつ)』と呼ばれる集会場は、3名以上の団体利用に限り事前申し込みのうえ利用することができる。
また先述した円了の遺言に基づく哲学堂祭は、毎年11月の第1土曜日に開催されている。東洋大学が主催しているもので、哲学の思想普及を目的に円了の仏前供養や講演会が催されている。
そうだ、最後の最後に井上円了の仏前供養に関して。
新青梅街道を挟んですぐにある蓮華寺というお寺に円了の墓所がある。
その件の墓に関しては、憚りもあるので写真におさめるようなことはしなかった。
私の稚拙な絵で恐縮だが、
こんな感じの墓石になっている。
さて、なぜこんな形をしているのでしょう~?
それと、井上円了自身は新潟の真宗大谷派の寺に産まれているが、現在墓所のある蓮華寺は日蓮宗のお寺である。
さて、なぜでしょう~?
・・・とまあ、本当にこのあたりにしておきます。■
Amazon
井上円了 その仏教思想
中野区立哲学堂公園
住所:〒165-0024
東京都中野区松が丘1-34-28
電話:03-3951-2515(代表)
HP:哲学堂公園公式ホームページ
開園時間:
3/1~6/30 8:00~18:00
7/1~8/31 7:00~18:00
9/1~9/30 8:00~18:00
10/1~11/30 8:00~17:00
12/1~2月末 9:00~17:00
年末休園(12/29~12/31)
駐車場:平日のみ12台まで。土日祝休日は駐車不可。
アクセス:西武新宿線「新井薬師前駅」から徒歩12分
都営大江戸線「落合南長崎駅」から徒歩13分
中野駅・池袋駅・江古田駅よりバス 哲学堂公園入口下車