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【読書感想】湯川秀樹『旅人 ある物理学者の回想』

2024年05月19日

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KADOKAWA
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 旅人 ある物理学者の回想
 湯川秀樹
 出版社:KADOKAWA(角川ソフィア文庫)
 発売日:2011/01/25

心豊かな人生とは?

 言わずと知れた日本人初となるノーベル賞を受賞した湯川秀樹のエッセイ。著者は生前数多くのエッセイを残したが、その中でも本書は自身の誕生以前からノーベル賞受賞のきっかけとなった研究に至るまでの半生を、深い述懐とともに回顧している。
 どこにも帰属意識を持てず、周囲の人間関係を静観している。その一方で自身の内面をつぶさに見つめ続けている、そんな内向的だった少青年時代。それは一介の科学者となってからも結婚してからも変わらないことではあったが、その背景にあった厳格な家庭と恵まれた教育という環境的な要素が著者の天賦の才を花咲かせる要因であったことを裏付けている。加えて幼少期からの旺盛な知的好奇心も相俟って、どこか昔の知識人がもつ独特の余裕を今に伝える文体は、悲壮なものを一切感じさせない。
 著者が幼少時に漢籍の素読をさせられたというエピソードは有名だが、それもまた自身の思考の背骨のようなものを形作った要因であるような気がしてならない。実際、学生時代の実験の回想がたびたび記されているが、そのうち高校の同級生から「小林(著者旧姓)君は将来アインシュタインのようになるだろう」と指摘されたエピソードなどその結果が実った瞬間だったのかもしれない。
 「一日生きることは一歩進むことでありたい」
 著者の名言として今なお語り継がれている言葉だが、今を生きる私たちは、果たしてこの言葉に恥じぬような毎日を送れているだろうか? 本書全体はゆったりとした流れの文章でまとめられている。どこか特記すべきほどのドラマチックな回想があるわけでもない。ただただ淡々と自身の半生を顧みている。面白みがあるわけでもない。真新しい話題が並ぶわけでもない。しかし、個人的にも何度目かの再読本であるが、初読の頃から変わらず読み終えた後に「あ、読んでよかったな……」と思える一冊である。

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