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【読書感想】岸政彦『図書室』

 
 図書室
 岸政彦

 出版社:新潮社
 発売日:2019/06/27

忘れてしまった大切な思い出の空気を詰め込んだ玉手箱

 社会学者・岸政彦氏の中編小説とエッセイからなる本書は、昭和の終わりの頃の雰囲気漂う大阪が舞台の作品だ。
 前半の小説は、一人の中年女性が日々の何気ない喧噪の中で、ふと忘れかけていた古い公民館の図書室をめぐる尊い思い出を回帰するというもの。思い出のそれ自体に取り立てた大事件があるわけではなく、一連のストーリーの中に淡々とした小さなエピソードが重層的に積み重なった印象がある。決してポジティブな話しではないが、なんともノスタルジックで暖かみがある作品だ。
 後半のエッセイでは、著者の青春時代の印象的なエピソードがやはり淡々と綴られている。
 


ビニール傘

断片的なものの社会学

 
 書き口はいずれも、これまでの著作同様に激することなく穏やかなままだ。それゆえだろうか、どこか、その時代をそのまま切り出してきたような写実的な風情が漂っている。
 方々で目にした書評で、当時の大阪を知る方々が「あのころの大阪の風景をみているようだ」といったことを書いていたが、その気持ちがとてもよくわかる。
 私自身、昭和の終わりの方に生まれた身の上とはいえ、もちろんそのころの大阪の空気を知る由もない。しかし、本書から感じられる空気感というものが、かすかに記憶の中にとどまっている「あの時代」のそれをくすぐってくれる。場所は離れていても、その時代特有の雰囲気というものが、個々人の思い出という点と点を一直線に結んでくれる、そんなイメージだろうか。
 
 書評の中には「後半のエッセイはいらない」と酷評していたものもあったが、個人的にはこのエッセイの方が面白く読めた。
 前半の小説のバックボーンのような、あるいはこれまでの著作の底流にある原体験のような、そんなものをかいま見れたような気がした。

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 昭和の大阪II: 昭和50~平成元年

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