人間使い捨て国家
明石順平
出版社:KADOKAWA(角川新書)
発売日:2019/12/07
日本の真の姿。"働く"とはどういうことか……?
ブラック企業被害対策弁護団の弁護士が報告する労働現場の実態。
本書は、前半では様々な職種の悲惨な実態を統計と裁判例・事件例を中心に炙り出し、後半では労基法の緩さへの指摘とともに、その元凶となった政策の問題点にまでメスを入れる意欲作。
そこまで息まく状態にならざるを得ないのは一読してみればよくわかる。
アベノミクスを標榜に"働き方改革"が叫ばれて久しいと同時に、長時間労働・ブラック企業といった言葉も巷にあふれて久しい。
「改革」と一言で言っても、その実は一部の人たちの幸福のために多くの人々へ過酷な労働を強いることに他ならない。
ではなぜそんな状況が出来てしまったのか、またその打開策はあるのだろうか?
本書中でもさまざまな提言がなされているが、そのいづれにも共感はできるものの果たして実際に変えていくことができるのか、その点に疑問が残る。
たとえばブラックな職場としてよく取り沙汰されるコンビニについて、本書ではそれを支える「コンビニ会計」の実態を詳説してくれているが、それひとつとっても実に巧妙かつ合理的な搾取構造が構築されている。
それらを率先して導入し活用している本部組織、その中心にいる人びとの世代的な偏りを考えると、革新的な政策やルール作り、意識改革程度のことでは何も変わらないのではないかという気になってしまう。もっとパラダイムシフトのような、日本国民全体の意識を根底から覆すような大きな変革がない限り、「ことなかれ」主義に陥りやすい国民性故に現状は何一つ変わっていかないと思うのだ。
もちろん「大きな道も一歩から」という言葉がある通り、小さな変革の積み重ねが大きな革命的変動を導く礎であることは確かだ。
しかし、劣悪な就業環境下で自殺者や過労死者が数多く出ている現状において、悠長なことは言っていられない。このことは喫緊に解決されなければならない。
本書中でもっとも印象に残った描写がある。
"ある風景"と題されたその段落の冒頭の描写が、まさしく今の日本社会そのものであることを忘れてはならない。
「深夜のコンビニ。レジに立つのは、コンビニオーナーと外国人留学生。そこへ、夜遅くまでサービス残業をして帰宅する途中のサラリーマンが来店する。彼が手にするのはコンビニ弁当。そこにある野菜は、技能実習生が働く農家で採れたものである。そしてその弁当を作ったのは、弁当製造工場で働く外国人留学生。彼の自宅にはアマゾンで買った商品がいくつかあるが、その商品を作ったのは技能実習生あるいは外国人留学生、配送センターで仕分けをしたのは外国人留学生。彼の自宅へその製品を届けたのは、残業代ゼロで働かされるドライバー。彼は3~4時間の睡眠をとった後、また会社へ出勤する。……」
この現実を我々はどう変えていかなければならないのだろうか?
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上級国民/下級国民